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特集・ダンス!
 
今号は“ダンス”を大きくクローズアップ!特別企画として、現在様々な見地から精力的に活動を続けているダンサー4名の方に自身のこと、ダンスのことなど改めて振り返って頂きました。


photo©bozzo
鈴木ユキオ Yukio Suzuki
ダンスとは何か 
わからないなりにわかろうとするエッセイ


YUKIO SUZUKI Projects」代表/振付家・ダンサー。世界30都市を超える地域で活動を展開し、しなやかで繊細に、且つ空間からはみだすような強靭な身体・ダンスは、多くの観客を魅了している。08年に「トヨタコレオグラフィーアワード」にて「次代を担う振付家賞(グランプリ)」を受賞。12年フランス・パリ市立劇場「Danse Elargie」では10組のファイナリストに選ばれた。
http://www.suzu3.com/




  いつの間にかダンスに関わって19年程たってしまった。どこをスタートと数えるのかにもよるのだが、舞踏というものに出会った頃からだとそれくらい。自身の作品を発表しはじめて15年ほど。長いのか短いのかわからないが、とても濃い時間を過ごしてきたなという実感は確かにある。うーん つかれた。疲れてやっと力が抜けるものである。

  舞踏がダンスだとも知らずにはじめたのが23歳の終わり、ほぼ24歳、何もわからず、ただ「何か」があると感じて、始めたものがここまで続いている。しかも未だにつかめない。

  引きこもって本を読んでいた昔を懐かしく感じるほど、今は外に開いている。まあ、人付き合いは未だに得意な方ではないのだが。人は変われる。大事なことは密かに持ち続けながら、人は変われるのだ。

  時代の流れも変われば自分のスタイルも変わり続けている。髪型も変わったな。丸くなるとはこういうことか。ずっと若手がつづくのかと思って吠えていたが、最近、「中堅」と何かで書かれていたのを見て、ああ自分も周りか見たら中堅なんだ、とやっと認識する始末である。この世界はいつまでたっても若手なのかと思っていた。コンペなるものに、もういいでしょと言われても敢えて応募してみたり、コンペの審査というものに、いろいろと思うこともあり、参加することでそういうことを自分なりに抗議してきたつもりだったが、そんなことは誰にも伝わらないものだなとも思ったり。発言する方が手っ取り早いのだろうが、なんでも説明できるものに対する反抗心がめらめらとじゃまをする。つまり不器用なのだ。だからひとの何倍も時間がかかる、ダンスを始めたのも遅い。給食を食べるのも遅い子供だった。というのは嘘でおかわりこそしないが、そこそこ好き嫌いなく食べる、読書の好きな子供だった。

  不器用なりに、人の倍やればいいんだと、とにかく経験を重ねるしかないと、単純に思い込んでただただ人一倍の稽古をした。夜中もずっと一人公園で意味もなく動いていた。踊りが何かも分からず、ただ必死にからだを動かしもがいていただけだった。たまに人が通ると、さっとジョギングやストレッチをしてごまかしていたもんだ。けっしてダンスに見えないであろうことは自分が一番分かっていた。不審者ではないアピールを、普通の運動をしているアピールでなんとか人が通り過ぎるのをやり過ごして、また密かな闇練に没頭した。経験とは思い込みの積み重ねなのか。

  出会ったものが舞踏だったことが大きく今の自分に影響していることは確かなようだ。ダンスと思っていたら始めなかっただろう、恥ずかしいし無理だし。舞踏はどう考えてもダンスには見えなかった。そして引きこもりの僕には、何か鬼気迫る切迫感、切実さが体から滲み出てくるこの舞踏というものは、その時の自分に何かアピールするに十分なものだった。

  舞踏がダンスと思うまでに2、3年要した。少しずつダンスの歴史を知ることで、ああこれもダンスなんだ、とダンスは時代によって変わるものなんだと。そして自分でもダンスをしてもいいんだ、自分でもできるかもしれないなと思わせてくれた。しかし、自分で「ダンス」という言葉を使うことはなかった。やはりどこかでダンスというのは、踊るもの、バレエ、ヒップホップ、テレビで見たことあるものみたいな先入観があり、知らない人に自分のやっていることを「ダンス」とはとうてい言えなかった。だって踊れないし、というのが自分の感覚としてずっとある。

  しかし、それまでダンスをしたことがなく、さらに舞踏から始めたことで何にも縛られず独特の作品を作りやすかったのも事実であり。とにかく初期の頃は踊ってはいけないと自分にいつもいいきかせていた。実際は踊れなかったからそんなこと思わなくても間違ってもダンスには見えなかったわけだけれど。さて、そんな時期がずっと続いたあと何を考えたか。

  

  もうすでに書いているが、踊らないのではなく、踊れないということにもう一度向き合うことにしたのだ。舞踊の歴史でいうと、常に前にあるものを否定して新しいダンス、ムーブメントが生まれてきている、僕は幸いにも舞踏からスタートしたことで、最初から「ダンスとは何か」を考え続けろと教わってきた。何がダンスになるのか、ダンスがあると思うな、いわゆるダンスを踊るんじゃないと、口を酸っぱく先輩方から教わってきたのだが、そう思って自分でもやってきたつもりだったが、ある時にふと、でも僕は踊りをしらないよな、と。踊りそのものを知らないのにその踊りを否定するとはどういうことなんだろう。自分が舞踏としてやっていることも、よく考えれば今までの舞踏をどこかで真似をしているだけじゃないか、と。土方巽、あるいは初期の頃の舞踏を創り出した人たちのように、自分も「自分のダンス」を生み出さなくては意味がないのではないか、さらにダンスはすでに解体されている、なんでもありになっている。ならば、解体したものから構築することにさかのぼっても一つの試みになるはずではないかという、勝手な思い込みがここでも発揮されていくのである。

  そこからは、今度はダンスとは何かを自分なりに追求していくことの始まりになる。どうやって体を使っているのか、ダンスってそもそも何なのか。つまり結果的にこの探求は、ダンスを乗り越えるために、僕にとってはとても重要なプロセスだったわけだが、経験のない自分にとってはダンスを体で理解することはかなり時間を要することであった。「正直ダンスできないし」と思っていた、体も頭も硬い自分を柔らかくしていくには、いろいろ人との出会いや助けを経て少しずつ少しずつ変化していくことを待つしかなかった。誰でもダンスはできる、コンセプトがあればダンスになる、しかし誰でもダンスはできない。できるし、できない。両方である。

  僕がやろうとしていることは、両極をあたりまえのように行き来することなんだろう。最近やっとそう言えるようになった。人は当たり前だが得意な方だけをやりがちだ、それでいいし、それが当たり前だが、僕は両方知りたくなる。両方知って、選び取りたい。行き来したい。そんな思いが自分の方向を決めていくように感じる。そのラインは難しく、少しずれると、ただのダンスにしかならなかったり、なんでもないものになる可能性をいつもはらんでいる。だがいわゆるぱっと見での違いだけではなく、もっと本質的な微妙な違いの面白さにスリルを感じるようになってきている。それを見てくれる人たちも確実にいる。自分のエネルギーの伝染しやすい、自分のことを好きなお客さんだけでなく、大きい場所でも、ぜんぜん興味ない人にも伝わるといいなと思う、そこは難しいがそのようなパフォーマンス以外の部分も両方、両極を行き来したい気持ちはある。もちろん閉じることで突き抜けることもある。そこすら包み込む宇宙的な希望をはらんでいる。

  正直両方なんて無理だよと頭をよぎる。疲れたな。そうして無駄な力が抜けていくものなのだろう。まだまだ思い込みは続きそうである。


次回公演
・YUKIO SUZUKI Project新作公演
日程:2016年3月下旬
会場:シアタートラム





[artissue FREEPAPER]

artissue No.005
Published:2015/08
2015年8月発行 第5号
 
鈴木ユキオ ダンスとは何か わからないなりにわかろうとするエッセイ
スズキ拓朗 観れる!観たい!のダンスを創る! ~既視感のある作品なんて観たくない~
手塚夏子 「ダンス」の幅、線引き、別の可能性
工藤丈輝 処々雑感


 
「コンテンポラリーBUTOHダンサー」の旅は続く 石本華江
「挑戦心光る異色のパーカッション・パフォーマンス」 立木燁子
反・知性的な日暮里d‐倉庫『出口なし』フェスティバル 芦沢みどり

 
「やっと」 小暮香帆 ダンサー・振付家
「男性中心と創作過程」 黒須育海 ダンサー・振付家