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舞台人と生活
舞台を創作していく中で生活、引いては、金銭的事情は避けて通れない問題かと思います。しかしながら舞台上ではあまり見えてこないこの問題を敢えて取り上げることで個々人が抱えている問題点をより可視化していくきっかけにしていければと思います。そこで、実際に現役で活動されている4名の方にご自身の活動を踏まえて生活事情について執筆して頂きました。

現在の私の生活と演劇について
フリー 丹澤美緒

俳優。「他者」と出会う場としての劇場に興味を持ち、演劇イベントの開催、地域イベントの運営等にも携わる。山梨県甲府市出身。
信州大学人文学部人間情報学科卒業。座・高円寺劇場創造アカデミー修了。

  私は舞台俳優をやっている。東京にでて演劇活動を始めてからは5年が過ぎ、6年目に突入する。昨年は休みなく出演し続けていたが、今年3月頭の出演舞台が終演してからは、休養と新しい情報のインプット期間とし、出演予定は作っていない。
  現在の収入はアルバイトによる収入のみである。ただし、俳優としての収入があったところでとても食べていけるものではない。演劇活動中でも、アルバイトによる収入で生活費のほとんどをまかなってきた。
 
【俳優は収入をどう得ているか】
  小劇場に出演する俳優が、演劇活動によって得られる収入には、出演料とチケットバックの大きく2つのパターンがある。
  出演料は俳優の舞台出演に対して支払われる。主催者側から出演料は公演全体でいくら、とまとめて提示されるときと、1ステージにつきいくら、と提示される場合がある。もしかすると「私の出演料は1ステージあたり○○円です」と俳優から言い、交渉するようなケースもあるのかもしれないが、いまのところ私は聞いたことがない。小劇場では1公演につき5,000円~数万円程度となる印象であるが、出演料を支払う団体はそれほど多くなく、チケットバックのみという場合も多い。
  チケットバックは、俳優自身が何人観客を動員できたかによって収入が変わる、歩合制だ。例えば、3,000円のチケットを10枚売ったら、1枚当たり500円チケットバックがもらえる、さらに30枚以上売ったら31枚目からのチケットバックは1,500円になるというような仕組みになっている。この場合10枚売った人は5,000円、30枚売った人は15,000円、40枚売った人は30,000円の収入になる。(ちなみに、9枚しか売れなかった人は1円も収入にならない。)団体によって金額に差はあるが、概ねこの仕組みで運用する団体が小劇場には多い。
  チケットバックと併せてチケットノルマが課されていることも多い。例えば30枚のチケットノルマがあるとしたら、チケットバックが付くのは31枚目からとなる。もしノルマ分のチケットを売ることができなければ、不足分の売上金額を俳優自身が支払わなければならなくなり、収入どころか赤字である。
  これまで述べてきた2つの収入には稽古期間中の交通費やその他の費用(自前の衣装や小道具代など)は考慮されていない。舞台出演による収入に対してこれらの出費は多く、計算すると赤字になってしまうということも当然起きている。
  
【演劇とはどういうことか】
  舞台に立ちたいという俳優は沢山いて、上手い俳優、魅力のある俳優も大勢いる。だが、俳優にとって最も重要なことはおそらく「集客力」なのだと思う。なぜなら、いくらうまい俳優が舞台で芝居をしても、観客がいなければ演劇は成立しないからだ。演劇がただの趣味でいられないのも、観客の存在による。
  いまSNSでは個人の表現活動が盛んだ。SNSの普及により、多くの人の目に触れる形で表現を行うことが可能になった。個人的には、ツイッターでマンガによる表現がすごく自由に展開されていて興味深いと思っている。文字だけでは読み飛ばしてしまうような内容でも、マンガにし画像データとしてアップすることで、多くの人が気軽に読むことにつながっている。プロとして活動しているわけではなくとも、作品を多くのお客さんに観てもらうことができ、読者の反応も即座に感じることができる。
  同じ表現活動であっても、演劇ではそれは難しい。演劇にとって重要なことの一つは、生身の肉体が集うということにある。観客がいなくても「お芝居」は作れる。現に稽古場には観客はいない。お芝居を演ずるものと、それを観る者、双方が出会う場、その空間そのものが「演劇」なのである。演者は役と向き合う作業を通じ、観客はそうした舞台を鑑賞することによって、その空間を通じて人間というものを考え、ひいては自己を問うということが演劇の骨頂ではないかと思う。双方の直接的な対峙が不可欠である以上、「わたし」以外の「他者」を必要とする。そのために内内的な趣味ではいられない。


『父母と三姉妹』作・演出 木嶋美香
【生活していくということ】
  いま私はアルバイトで生計を立てながら、演劇活動をしている。数年前まではとにかく演劇を優先し、限られた時間にアルバイトを詰め込む生活をしていた。当時は飲食店など融通の利きやすい職場での仕事を掛け持ちしており、夜からの稽古に出て、翌日早朝のバイトに出かける、というような生活だった。十分な睡眠がとれていないため疲れは取れず、毎日のパフォーマンスが日に日に低下していたと思う。かといって、アルバイトを減らすと生活費を切り詰めなくてはいけなくなり、精神的に追い詰められる。そもそも早朝働くようになったのは、稽古がどの時間帯に入っても安定していくらか収入を得られると考えたからだったが、わたしが出演してきた舞台は8割方夜の時間帯に稽古があり、かえって自分の首を絞めていた。
  現在は、昼の時間帯に事務のアルバイトをしている。この仕事に変えてから、演劇と生活の両立を考えるようになった。アルバイト先に融通をしてもらいながらも、一方で演劇の現場でもスケジュールの融通をお願いするようになった。演劇による収入だけでは必要な生活費がまかなえない以上、不足分を補うくらいは稼ぎたいと思った。20代後半になり、生活面をきちんと整えたいと思ったのも理由だ。舞台出演が続くと収入は減るのに出費は増え、わずかな貯金を切り崩しながら生活するという状態になる。挑戦の機会があったときに、挑戦したくても金銭的に選択することが難しければその機会を失うことにもなってしまう。わたし自身、今がどうにか生きられているから今のままでいいというときもあったし、そのように考えながら演劇をやっている人もいるだろう。本気ならお金なんかなくても苦しくても最低限の暮らしでもやれるだろ、という人もいるかもしれない。でも、わたしは自分自身が未来を見て生き、これからも演劇をやり、俳優であるために、心身ともに健康でいられる分は稼ぐことを選んだ。

【演劇をして生きていくということ】
  定職に就き働きながら演劇活動をしている人たちがいる。「社会人劇団」と呼ばれることが多いが、彼らはものすごく強いエネルギーをもって活動している。フルタイムで働き、終業後や休日のすべてを演劇に注ぐ。これまで東京で、それ以外の都市で、社会人劇団の方の芝居を観てきた。「社会人劇団」であることを理由に、作品がそれ以外の劇団に劣っているようなことは決してない。むしろ純粋な演劇・表現への欲求と必然性にあふれた作品が多いと感じている。
  私には彼らのように器用にはできない。「仕事」を二つも抱えるのはとても難しいからだ。
  私はかねてより、「仕事」とは、「生き方」だと考えている。サラリーマン型の働き方が一般化する前は、仕事と生き方は直結していた。そして仕事は食い扶持である。だから本来的な意味で役者、俳優というものが「仕事」として社会的に認められるために、金銭によってその仕事が認められるということは重要なことだと思ってきた。「演劇で食う」ということを諦めたわけではない。けれども今はそれだけが重要なわけではないと感じる。必ずしも世間から認められなくとも、自分で選択した生き方を生きてゆくことの方がきっと面白い。勝手に背負っていた肩の荷を、下ろせたような気がしている。
  ここまで書いてきて、どうやらこれまでの人生の半分以上、演劇をやっているということに気付いてしまった。これから先に自分自身が何を選び、どうなってゆくか今の私にはまだわからない。わからないから楽しみに、この先も毎日を生きていこうと思っている。