総 評

今回審査員をやらせていただくにあたって、私は見る専門家ではないので、自分の見方で見る事にしました。
見たことに関してコメントすることは、私も演者・作者なのですべて自分に還ってくる言葉と思い、発言いたします。
身体にどれだけ向かっているか、そこにダンスを感じるか、という点に重きをおいて拝見しました。

全体として、こんなにも色々な人がいて踊っている、ということに直に立ち会えたことが驚きでした。
審査員としてdie pratzeに来ていなかったら、見る機会を失っていた人も多かったと思います。
1月の公演なので、みんなお正月も稽古してたんだろうなあ、とか勝手に想像して、やると決めてから本番の舞台に立つまでの大変な道のりを歩んだことに拍手をしたいと思います。

一方、「やりたいこと」を突き詰めてとことんそこに向かったかというと、まだまだ余地のある作品が多かったと思います。あるいはもし、とことん「やらない」と決めたなら、「やらないこと」をとことんやるべきだと思いました。
自分にも言えますが、これはここまでできればいいだろう、というようなことはありません。やればやるほどゴールも遠のいてどんどん厳しくなっていくことに、タフに向かっていくことがもっと必要なのではないかと感じました。
振り付けの場合、振りになったとたん、身体の強度が落ちるケースも数多く見られました。けっこうな落とし穴です。
振りが目的なのか手段なのか、ということを考えさせられました。
またいくらやりたいと思っても、身体がついていかなければ悔しいばかりなので、やはり日々の身体作り(肉体だけでなく)は絶対に必要と思いました。作品を作り始めたばかりの人も多いかと思いますが、これから続けていけるか、というのが大きなポイントなのではないでしょうか。やりたい人は是非続けていってください。どうしたら続けられるかは、自分でなんとかしてください。とにかく続けていってみなくては。

余談ですが、今回、ダンスと思っていなくてもダンスを感じる瞬間が、面白いことに作品毎の舞台転換のときに現れたりしました。そういう意味では、ダンスを見る方(今回の私の立場です)にもダンスを見つける力が問われるようにも感じました。ダンスを見つけることは、楽しいことなのではないかと思います。私以外の審査員の方々はその楽しさを見つける喜びとともに日々を過ごされているのかな、とふと思いました。

以下上演順に。勝手に感じたことなど。(敬称略)


潤湖
身体、特に関節の動きがすごい。繊細で奇妙な動きが魅力的。中盤、2曲目の時に曲の方にひっぱられて、身体を支えるものが弱くなった。音との関係、繋がり方に意識的になるとよりよいのでは。

西村つむぎ
若い身体。その良さがある。作品全体がもやっとしている。動きやシーンがピークに達しているときの持続は、もっと長くてよいのではないかと思う。身体はもっと作れると思う。

石井則仁
物質としての身体の浮かび上がらせ方に工夫があった。照明の色が補色のように身体に現れて面白かった。ラストの方の轟音のところはもっと見たい。

若気の至り
なんだか嫌いになれない3人組。器用な人がいろいろとやる。ユニゾンの振りと最後の踊りまくりがよい。
若気の至り、というユニット名、よく付けたなあ、と感心。

川村美紀子
やりたいこと、突っ込んでいき方が明確で、強い。今回の題材や印象はネガティブなものもあるが、一貫して強く印象に残った人。自分がやっていることに対する感覚の持ち方が一定なので、違う距離の置き方(開放や閉塞)も見てみたい、気もするが、これでいいのかもしれない。

荒悠平
見終わった後の印象が心地よい。動きまくったあとの汗がすごくて、人間てこんなに汗をかくんだと再確認した。
優しい触り心地の作品。音と身体と意識のバランスが風通しのいい感じの人。

anomie3
おそらく結成したてなのだろうか。3人で何に向かうかが、まだ定まっていない感じがした。
ユニゾンがそろわないのかそろえないのか、気になったからかもしれない。動きそのものが目的になっているように思えた。だからきっと全てこれから、なんだと思う。

橋本正彦
登場した時の姿が、なんでもないかんじでよかった。歌の連続、高揚感が訪れそうなところでやめちゃうのがもったいない。脱いだ服を着て、また脱いで。どうしたいのか気になった。

△公園
可愛い女子3人。愛らしい容姿だが、やることは淡々としている。きちんと作ろうとしすぎている気がした。ゆくゆくはもっと破綻してみたりしてもよいのではないか。あるいは、自分たちの行為をもっと貪欲に楽しんでもよいのでは。

三石祐子
初々しい可愛らしさとちょっとしたエロスのある人。普段着な感じの作品。柔らかい感触の身体性。身体はもっと鍛えられそう。そしたらもっと違う魅力も加わりそう。

岩佐理恵と風岡美沙
赤いスリッパを衣裳の色合いがキレイ。二人が相似形の存在に見えた。ゆるやかな作品になっているのはわざとだろうか。もっとやればいいのになあ、という気がした。

三体
3人とも身体能力も高く、よく訓練された身体。これは強み。でもそれをどう活かしていくのかが見えない。
この3人に限らないけれど、「上手い」ということはそれだけハードルが上がる。もっと自らハードルを上げて欲しい。

矢萩竜太郎
暗闇の中での声、よい。言葉を発する身体の熱を感じた。難曲に挑戦して、その事に身体でどんと向かっているのが好感が持てた。音楽を結びついた瞬間の身体はつよい。曲の後にもうひとつ見たかった。

原田香織
正直に、丁寧に、等身大で作った作品と感じた。詰め込まない分、空間、余白が見える。身体そのものよりも、身体のない空間が見えて面白かった。シンプルで、見終わった後になんだか爽やかさ切なさが残る。

浜田レイコ
着替えの多さが謎。それがコンセプトなのかも謎。何かが起きる前に次に行ってしまう。自分の身体のよい所と弱い所を一度シビアに見つめてみるとよいのではないかと思う。

KDANCE&RUBY
男の人が踊っていくうちに変化していくのがよかった。女の人がことごとく破綻しないこととの対比が不思議だった。
互いに触れる時に、そこには何も起こらなくて、触れるということが必要なのか考えさせられた。

高橋桂子
自分の世界にまとまっているという印象を受けた。踊る時にはたまにはもっと開けて欲しいと思ってしまう。
ラストの逆さまの光景が好き。

柿本真二・庄司舞
このような風合いの作品、ダンサーはちょっと珍しいと感じた。火をつかって視線をひき込むやり方、うまい。
二人の関係性も影があってエロスもあって気になる。振りになったときにその匂いがちょっと弱くなる。

小川麻子
珍しい存在感の人。とてもよい声をしている。映像との絡みも楽しめたけれど、生身の身体の魅力がもっと出たらいいなあと思った。

Kaoru Ikeda
テキストと衣裳、身体の素材感がマッチしている。言葉の力は強い。ならば身体にももっと強さが欲しい。
楔を打つような身体の瞬間が見たかった。

武藤浩史
個人的に今回もっとも身体をふりしぼって「ダンス」していた人。ほとばしっていた。身体の喜びを見た。
見終わった帰り道、わくわくしたままだった。ブラボー!

KAPPA-TE
振りでもってどんどんゆく挑戦の仕方が好もしい。身体も強く、よく鍛えられていて、振り付けにもユニークさがある。それからどうするか、が見たい。

宮崎喜子
パイプ椅子とのやりとりが実は計算しつくされていて、ネタにならずにダンスになっていた。すごい。
肉体が発するダンス。閉じこもっていない。見ていてどんどん嬉しくなった。

喜多真奈美
すごく若い、と感じる。ヘン顔が上手い。その度胸がよい。音楽のリズムと微妙にずれていて気になる。これが出発としたら、もうひと工夫、ふた工夫、たぶんもっと探せるはず。

村松利紗
自分の見せ方をものすごくよく分かっている人。舌の収め方がエロい。背中がきれい。ある意味完成された自身・世界をもっているように思う。

上條奈美子
憎めないかんじの人。アイデアや衣裳、小道具などとてもカラフル。身体の動きの質もそのようにカラフルだといいなあ、と感じた。

ビルヂング
個性の異なる若者3人組。見始めはどうなるかと思ったが、見ているうちに何故か引き込まれ、3者3様の魅力が活きてくる。アレックスは身体がとても綺麗で身体能力が高い。福原冠は器用ではないが佇まいがよい。加藤紗希は可愛すぎるのがこれからの課題になっていくのでは。振りや動きはもっと攻めて、できることをやるのではなく、壁をガリガリ壊すつもりでやってほしい。

立本雄一郎
声と滑舌がすごくよい。思考的なテキストと生身の身体が一人の人間に同時に存在しているところが面白かった。
あんなに動いても声がクリアなままで驚いた。

ガイシャサヤカ
あの短さが戦略だとしたらすごいと思う。はたして。

RIE TASHIRO
始めのゆっくりの動きが美しい。音楽や照明に身体を取られているように感じた。身体そのもの、動きそのものをもっと見たい。

unica
衣裳の赤と、振りと、物語と、全体の質感に一貫性がある。これからもこのテーマをやっていくのなら、
さらにどすん、と深いところまで掘って落っこちて這い上がるといいな、と思う。

Tres
間とつなぎがよくなったら、もっと見入るのではないかと思う。散らかったままの感がある。不器用そうな女の子など、面白そうなのでひとりひとりの個性がもっともっと立ってきたらよいなあ、と思った。

スピロ平太
油断して見ていたら足元をすくわれた。びっくりした。何故男性性器はあんなにも滑稽で切ないのか。
暗めの照明の中、ぼや~っと見てしまった夢のような幻のような。

中川紘子×SDAT
不思議なフレッシュな魅力がちらちら見えた。作品のトーンが変わらないので長く感じる。動きはもっと探せるはずと思う。決めつけないといいのではないか。

チーム禁色
見ている内に、噛み合ない奇妙さ、なにかしら分断されたような変な気分になった。何かひとつ、柱のようなものを立てたらよかったのではないだろうか。コラボでもよいけれど、素材が集まったあとに煮込むような作業が必要なのでは。

もっしゅ(岩佐妃真)
歌と声、うっとりした。歌っている時の身体は何かしらの存在の強さがあるのだけれど、動きだけになった時にその強さは失われてしまう。その謎に向かって欲しいと感じた。

猫 猫 猫
一緒に踊ったら楽しいだろうな、と思うところがあった。間や密度の具合が一定なので、あるところまでしか誘い込まれない。惜しい。ツボみたいなものはどこにあるのか、探りあててほしい。

星野琴美
丁寧で身体もよく効く。集中力がある。濃い時間。シーンが高まっていった時、運動としてではなく存在として高まっていくともっと持っていかれたかも、と思う。

中村蓉
とても魅力のある人だと思う。でもその魅力が引き出されていない。振りにしても、おかしさについても、物語についても、もっと磨けると思う。心地よいところで留まっている気がした。







 
【総 評】

 今回は1日3組、13日間で39組という長帳場。20分程度の作品も多かった。1分以内の作品は別としても、時間一杯使わないのは、そこまで持ち札が熟していないという「新人」らしさの顕れともいえる。キャリアに関わらず、いい意味で、「新人」が多かった。
 近年、舞踏系をはじめとして、自分の身体から踊りを始めるという、身体そのものにこだわるソロが増えていたが、今回は少なかった。ダンスの舞台では、1個の身体としてどう立つかが常に要求される。今回のソロは日常的なモードや私的な物語に拠るものが多かったが、そういった作品ばかり並ぶと、同質のように思えてオリジナリティが見えないこともある。ポストモダン時代以前、1940年代からすでに日常モードのダンスはあるので、自分の表現を外から見る視点が必要。自分自身から出てくるものは重要だが、他人と大差ない日常や経験を舞台に載せるだけでは、意味がない。
 グループによるダンスは、誰かが「王」や「皇帝」のように支配する構造がないと、舞台としての強度が出ない。振付・演出には特に、「どうしてもこれをやらなきゃ気がすまない」という強い思い込みとハングリーなエネルギーが必要で、それがしっかりした舞台を成立させる。メンバーの個人的経験を生かして舞台をつくるにも、一種の支配構造が必要とされる。ディレクター、デザイナーは1人が基本。そうでないと、作品ではなく寄せ書きになりかねない。例えばピナ・バウシュの手法は、多くのダンサー・出演者の経験を彼女の神経症的感性で引き出し味付けた精神分析的表現であり、表層で真似ても意味はない。今回、既存のグループやダンサーを連想させる舞台もあった。表現は模倣から始まるが、それを一つ超えるには、新しい発想・感性と訓練(テクニックではない)が必要だろう。
 今回、新人賞は比較的スムースに決まった。川村美紀子、ビルヂングが審査委員らにほぼ共通して上位に入ったからだ。個人的には、川村は圧倒的、表現に対するハングリーさが際立っている。そしてスピロ平太はもっと評価していいと思う。ともあれ、オーディエンス賞にビルヂングが入ったことで、全体を通して見ている人にとっては、納得できる評価ではなかったかと思う。




【各 評】

川村美紀子
 去年の横浜ダンスコレクションで度肝を抜かれた。それからNHKのアワードでも見かけて、東中野RAFTの公演でも、「やはり変」。体育系の身体性、自分の身体を酷使して極限を求めようという意志と、ともかくも表現したいという二つのハングリーさがあいまって、作品を生み出している。この人の作品は本当にハングリー、貪欲なのだ。そのエネルギーが伝わると感動を生む。激しく踊る冒頭も技術的に高いが、弁当を食べながら吐く、自分の足を叩き続けるといった行為にトラウマ的なものを感じさせ、それが作品に厚みと不可解感を与えている。

宮崎喜子
 モダンダンスの舞台では、よく椅子や机を使う。物語の道具として使われる場合が多く、定型である。そのため出てくると、「またか」と思い、道具としてではなく、徹底して絡もうとする舞台はないかと思っていた。宮崎の舞台はまさにそれ。折り畳みのパイプ椅子に体を差込み、あらゆる手段で絡もうとする。この徹底が素晴らしい。それも曲技団などのようにスムースな芸ではなく、ぎこちなく絡むリアリティが、体と無機質なパイプ椅子とのコントラストを際立たて、展開もスリリングだ。

スピロ平太
 スピロ平太は劇団ゴキブリコンビナートの役者で、舞踏を和栗由紀夫に学ぶ。この劇団は徹底して過激に身体を酷使しつつ、トラウマ的な混沌に歌を交えた、変態ミュージカル劇団。スピロは以前の新人シリーズでは滝田高之の名で、着ぐるみで女性器や肛門を作って登場し、度肝を貫いた。今回は、舞台のホリゾント中央に設置した障子を破って登場し、じわっと舞踏的に踊り、ツン(パンツ)を極端に引っ張ったインパクトあるポーズ。さらに全裸の背中にバイオリン・チェロを描いた女性を抱えて、楽器演奏のように踊るなど、破天荒さは健在だ。少なくとも、「見たことのない」舞台を作るというエネルギーには圧倒される。これは海外でやったら絶対受ける。日本にもこんなにパンクなパフォーマンスがあると知らしていい。

ビルヂング
 ビルヂングは男2人に女1人で、いくつものコント的なネタダンスを続けるが、3人とも技術があるので、しっかり見せる。それぞれの景につながりがないと思っていたら、最後に加藤紗希がそれぞれの景で出てきた動き、振りを次々と踊るという荒技でまとめたのは、なかなかうまいアイデア。確実な踊りでしっかり見せたが、圧倒的なテクニックとパワーのアレックスがここを踊るバージョンも見たいと思った。






【短 評】

潤湖
 体一つで踊る感覚を丁寧にとらえており、なかに浮かぶエスニック、インド的ともいえる動きなど、魅力的。

石井則仁
 舞踏としては厚みを感じないが、終わるかと思ったら、ストロボライトの場面はインパクトがあった。

荒悠平
 たくさん着込んだ福を脱ぎながら踊り、人の姿のように並べてそこに絡むというアイデアは、もう少し練ればかなりいい。

anomie3
 ラジオ体操という定番ギャグだが、短調版を含めて徹底したところに伸びやかな身体が面白い。

橋本正彦
 「アモーレ、アモーレ」の日仏伊版でそれぞれ踊るというシンプルところと、技術がないところが面白い。

三体
 かなり技術があって、キャラも魅力的、丁寧に作った舞台だが、かっちりしすぎていて、遊びがないのが気になる。

矢萩竜太郎
 シンプルに曲で踊るのだが、独特ののめり込みと動きが何かを感じさせる。

原田香織
 日常のスタンスをダンスにしようという試みで、ある意味徹底しているのだが、その魅力を浮かび上がらせるのは容易ではない。

KDANCE&RUBY
 踊れる二人が踊っても、必ずしも面白いとはならない。むしろ、エンターテイメントに徹すると、逆にそこから変なのがこぼれて出てくるのではないか。

高橋桂子
 大きい植木鉢に立って始まるが、最後までその中にいることにこだわって踊ると、逆立ちが際立ってカッコいいはず。

柿本真二・庄司舞
 巧みな動きとライターという発想はいいのだが、コンタクト的な定番という印象もある。

武藤浩史
 ダンサーではない大学教授なのに、クラシックなどの名曲で徹底して踊る、その動きはダンスの定番を意図的に外して作っており、実に見応えがある。黒澤美香の美香ダンサーズの一員で、ポストモダン、ミニマル要素が巧みに使われてエンターテイメント作品になった。

KAPPA-TE
 うまいダンサーが集まっていて、一つ一つの景、動きは面白く、見せるが、全体としては、そのつながりや意味の徹底がないところが残念。

unica
 鶏を締めるというテーマに対するこだわりは面白いが、ちょっと弱い。踊りの動き自体ももう少し定型を外すほうがいい。一歩、破天荒さを加えれば、化けるかもしれない。

もっしゅ
 歌やDJ、いろんな要素のごった煮感覚が、楽しい。歌がうまいので、歌をもっと聴きたい。

猫 猫 猫
 テンポのある展開で楽しく見せた。コンドルズを連想させたため、もう一つ個性を加えてほしい。

中村蓉
 動きもよく、ソロをきちんと踊ることに徹していて、魅力的。康本雅子の踊りに重なって見えたので、オリジナルにはもう一歩前進。







【審 査 に あ た っ て】

昨年に引き続き審査員を務めた。1日3組×13日=39組すべて観た。シリーズ最長日程・最多参加数のようだ。いささか疲れたのも事実。でも、昨年いくつかの新しい才能・面白い感性に出会えた手応えがあった。今回も、そんな出会いを楽しみに夜な夜なdie pratzに通った。

キャリア・年齢・ダンスの分野を超えた自称“新人”たちが集う。多種多様さこそ、このダンスフェスティバルの特徴といっていい。枠にはまらない/はめられない才能が出てくる可能性がある。今回、多くの作品に接し、あらためてダンスについて考える貴重な機会をいただいた。まず参加者の皆様に心から敬意を表したい。実行委員会並びにdie pratzeのスタッフ、お手伝いの方々の労を労いたい。助成いただいたEUジャパンフェストにも敬意を表する。

さて、私がどのように審査に挑んだかを説明したい。心揺さぶられ、刺激受けたものを素直に挙げたいと思う。ポイントとしては昨年同様3つの点に留意した。まず「インパクト」。派手だとか刺激的という面だけでなく、いかに観客に強く深くアピールする訴求力があるか。何を表現するかも大切ながらどう表現するかをいかに高いプレゼンテーションで行っているか。それから「パーソナリティ」。創り手の色というか独特な手触りがないと、その人が踊ったり、創ったりする意味がないのでは?そして「新しさ」。“新人”を標榜する訳だから何かしらの新しさ、他に無いもの、独自性を持って出てきてほしい。

それと、新たに加えたいことがある(去年も実際の選考の最後ではそれを主張)。受賞した場合、夏に一晩の単独公演を打つ機会があるわけだから、そういったものに発展していってほしい/発展できるか分からないけれどもやらせてみたい、という人に差し上げたかった。60分の作品であろうが、いくつかの作品を配するのであろうが、とにかく一晩観客と向き合える場を提供したいと思えるアーティストを選びたい。その点も留意して審査に挑んだ。




【推 薦 理 由】

審査の際まず各審査員が推したい3組を挙げた。以下、私の推した3組について。


川村美紀子(『がんばったんだね、お前の中では』)
いくつかの受賞歴がある人だが、突き抜けた個性と有無言わせぬ技量によって濃密な世界観を創り出し抜きん出ている。
ダンスコンテスト?で踊ることにイノチを賭け、上手くいかず落ち込んだりしているようなダンサーが主人公。クラブ音楽にのってノリよく踊る場面と、部屋でひとり寂しくコンビニ弁当を喰らい吐き出したりするような自閉的なシーンの対比が鮮やか。理想と現実との狭間に苛まれるさまが、それは、もう痛いくらいに伝わってくる。
自傷的な景や生々しい場面には「やりすぎ」という声もあろう。決して好き好んで観たいような世界ではない。けれども、そこを押し切ってみせる覚悟に若いながらも作家としての業のようなものを感じる。
捉えどころなくブキミでいて、ときにカッコよくもある独特なダンスの謎も解きがたい。でも、どんなに派手に踊っても腰が据わり、手足もしなやか。圧倒的な技量の裏打ちあるのは疑いないところだ。
この人、感性も踊りも相当に変わっているのだが、本人は全く自覚していないらしい。そこも面白い。長めのソロによって一晩を持たせることができるかどうか未知数ながら近い将来挑んでほしい。他の踊り手に振付けた作品も観てみたい。滅多にお目にかかれない稀なる異才・奇才である。

ビルヂング(『雨宿りのビル』)
名古屋出身の加藤紗希の主宰するこのユニットは“おどる いきる わらう”をモットーとする。舞台は白いシャツに黒のニッカポッカ姿の3人(アレックス、福原冠、加藤紗希)が皆で宣誓!し始まる。「なごり雪」やアニメ「タッチ」の主題歌など昭和な香りただよう懐メロにのせ、die pratzeを所狭しと縦横無尽に踊り駆け回る。
浮びあがるのは生きいきとした青春群像。異様なまでにテンション高く展開し、ベタな笑いも満載で、青春ど真ん中のバカさや恥ずかしさ、痛さをも衒うことなく叩き付ける。でも、観終わった際の感慨は清々しい。誰しもの胸に去来するような、喜怒哀楽さまざまの感情の機微に触れ胸を打つものがある。ハイテンションで駆け回り踊った彼らが、おにぎりを取だして食べるシーンのおかしさ切なさは忘れ難い。
胸がすく位ダイナミックかつしなやかに踊るアレックス、役者で異色の存在感醸す福原、とってもキュートな容姿を誇るのにガッツリ踊って体育会系な加藤。三者のキャラが立つ(皆長身である)。ユニゾンの造形や曲想・曲調を巧みに捉えつつ変化に富んだ作舞など振付にも工夫ある。千本ノックやシャドウボクシングなどのアクションも巧みに織り交ぜる。
勢い勝負、やりたいことを詰め込み過ぎの面もあるが、破天荒なエネルギーを感じさせ、そこに「インパクト」があった。演出・振付・構成(空間処理含む)・演技それぞれに見どころがあり、かつ作品としてまとめあげる力量も感じた。懐メロの使用や「青春」をテーマにすることなど多世代に訴求するステージを心掛けてもいるようだ。鉱脈かもしれない。
エンタメ路線を基盤に新たな表現を模索すれば貴重な存在となる。加藤には自分の信じる道を猛進し暴れてほしい(若いので、ときに回り道することになっても、それはまた良しだが…)。場数を重ね各要素の質を磨き高め、より個性が横溢すると、独自の世界観がさらに明確に立ちあがるはず。その時、多くの観客の支持を得るだろう。躍進を楽しみにしたい。

中村蓉(『あわだたしい』)
小野寺修二や近藤良平の作品に出ていた人。最近創作に本腰を入れて取り組んでいるとか。ボーイッシュで目力ある面構えと元気のよいダンスに惹かれる。39組の最後に接したため長期の審査で疲れた体に染み入る砂漠のオアシスの水のよう!おいしく喉を潤させてもらった。
とにもかくにもこの人はギャグ含めた演技とダンスの按配が絶妙だ。気負わず等身大に踊り演じつつ観るものの視線をおのずと惹きつけていく舞台運びが上手い。得難い資質である。作品をまとめる力もあると思う。他にも上位に挙げた審査員もいたし皆好印象のはず。大いに奨励したい。
が、最初から新人賞受賞ラインに届かないのは自明でもあった。何が足りないか。器用だが器用貧乏という言葉もある。ダンスに今少し練り上げ・独自性がほしいのと魅せ方に大胆さを加えたいところだ。具体的にどこが、何がとは言い難いけれども、さまざまな面で表現に既視感がなくもない点を見過ごせない。これは審査員全員があらゆるコンテンポラリー・ダンスを見慣れ、かつ一家言あるという性質上致し方あるまい。オリジナリティあるにしくはなし。まだまだこれから頑張れる人に思う。次作を心待ちにしたい。





【審 査 ・ 選 出 に つ い て】

昨年は評価がさまざまに分かれ紆余曲折の末、ポコペン舞子と木村愛子の2者に新人賞を授与(オーディエンス賞の富野幸緒含めヒットと言っていいラインアップになったと思う)。その点、今回は受賞者を選ぶのには苦労しなかった。川村美紀子とビルヂングが個人的嗜好や評価抜きにしても印象度が抜きん出ていると感じた。実際どちらも高い支持を得たが、とくに川村は全会一致といっていい評価を受けた。結果的にビルヂングがオーディエンス賞を獲得し両者に賞が渡ったのは喜ばしい。文学でいえば純文学的な川村と、エンタメ寄りのビルヂング、タイプが違う才能に光が当たった。「ダンスがみたい!14」が楽しみだ。





【寸 評】

以下、審査の際に話題になったもの、個人的に気になった人、指摘したいことのあるものについて触れる。

石井則仁(『タナトスの声を聞け!』)
昨年、奥野美和とのデュオをもって参加し高い評価を得た実力派。各所での活発な活動も目に付く。今年はソロ。照明やガスマスクの使い方が巧みといえば巧みだが、主題・構成・演出含め絵解き的・説明的すぎる印象だ。コンセプチュアルに堕した感あるのが残念。

潤湖(『タイトル未定』)
上等な資質を持った踊り手である。無音と民族音楽等で踊る即興を披露した。音(無音含め)と空間に向きあい、その場で生起する動きを連綿と紡いでいく。からだの節々を独特にうねらせるダンスに惹かれた。「作品」としては弱いのは否めない。でも、また観たい人だ。

西村つむぎ(『she÷she=』)
得体知れないような不思議な感じのキャラクターを持つ人。ピアノ弾くような仕草や自転車漕ぐような動きなど日常的な動きを多用。からだになじんだ動きを紡いでいく姿勢がいい。ただ、一応の構成もあるし、雰囲気はいいのだが、魅せ方の引き出しを増やしたい。

荒悠平(『こんにちは』)
昨年の新人シリーズにも登場。その際は30分を持たせられなかったと記憶しているが進境をみせた。重ね着をどんどん脱ぎ人の形に並べる。その横に寝る。「不在」を痛感する。いまを生きる実感を彼なりに表したのか…。日常的な動きをアイデアと無理なくつなげる腕が上がった。成長ぶりが頼もしい。2年続けて審査を担当させていただいて、よかったと思った瞬間だ。ただ、アイデアは見えてもモチーフがやや薄く感じられ、切実さに乏しい。

岩佐理恵と風岡美沙(『さかのぼる』)
スリッパを時計の時刻のように並べるアイデアが秀逸である。ただ、空間構成の上手さが先走った感がある。ダンスで語る姿勢が薄く感じられ、仕上がりは締りない。惜しい。

三体(『れとろ』)
ボーイッシュかつキュートで華のある寺杣彩、中性的で柔らかい踊りが持ち味の木原浩太、活動休止中の「水と油」のももこんよろしく無表情の表情(←ホメ言葉)とでも呼びたい渋さある面構えが出てきた塩川友佳子の個性が滲み出て、彼らにしか醸せない世界観は確実にあろう。ユーモラスな味わいがある。最初と最後に流される映像も効果的である。鍛錬度高くしなやかな動きも魅力的だ。振付にもアイデアがある。が、アイデアを並列したようにみえる。ダンスの力でシチュエーションが展開されない感じを受ける。そこがなんとも残念だ。

三石佑子(『Di Shi Pu Ki Tsu Ki』)
開くと音楽の鳴り出すバースデーカードの使い方が上手く惹かれた。が、先述した岩佐理恵と風岡美沙と同様に、アイデア良くてもダンスで語るという部分が、いささか弱い。

原田香織(『果実』)
昨年新人賞を得たポコペン舞子のメンバーのひとり。演劇にも出ているとか。ダンスと語りが違和感なく地続きで溶け合う。ダンスにも振幅ある。が、全体通しての造りはユルユル。散漫と紙一重。雰囲気だけともいえる。が、私は好みで彼女の世界に心地よく浸れた。

柿本真二・庄司舞(『火葬』)
デュオという最小単位の関係を突き詰めた秀作。暗闇のなかライターを点滅させる演出はいささかクサく感じられるが、それを補って余りあるくらい効果的だ。淫靡になるギリギリのところで踏みとどまる不可思議な官能性も審査の際話題に。ユニゾンにおける微細なズレの質感やリフトの入れ方の上手さなど細部の動きの造形に才気ある。受賞には届かないが奨励賞にふさわしい。岡山在住?「また作品を観たい」と思わせされるペアである。

武藤浩史(『淵と谷と頂』)
大穴的存在として注目した。冴えない中年男のソロである。ところが、こやつ、なかなかどうして骨のあるクセモノなのだ。直球勝負で「踊らない」。あの手この手で観るものを翻弄し、意想外の展開がつるべ打ちの如く続く。「ネタ」と言われればそれまでだが…。我々が普段ダンスと呼んでいるものは一体何なの?と逆説的に問いかける。個人的にはコンセプチャルなダンスはあまり好みではない。けれども、これは例外だ。とても大好き。ラヴェルの「ボレロ」でみせた、彼なりのダンスには中年男の精一杯の熱い思いが感じられた。そのおかしさ切なさに例えようのない味があって忘じ難い。謹んで敢闘賞を進呈したい。

KAPPA-TE(『パッケージ』)
大学ダンス出身のなかでは、もはやベテランともいえる。現在東西に分かれての活動となり、久々の関東公演。ある種のダンスの文脈の範疇では動きや組み合せが多彩と評価されよう。一応のスキルはある。踊り手の技術も総じて高い。が、寄せ集めというか色々なパートを並列するのに終始した感がある。ダンスに賭ける熱意は疑いないが既存の枠の中に安住しているように思える。実力者であるがゆえ意見を述べさせていただいた。健闘祈る。

喜多真奈美(『新妻』)
夫婦漫才のようなコント?の録音や「部屋とYシャツと私」にのせて踊る。短い。独特の機知というかセンスありそうな気がしたので、もう一度腰を据えての創作を観たい。

宮崎喜子(『誰もがみんなお母さんの子どもである』)
ポコペン舞子のメンバー。パイプ椅子を使って様々に動き、その後エルガー「威風堂々」にのせて踊る。前半のネタっぽい動きの数々から、後半じょじょにテンションをあげて踊り、最後には観るものにカタルシスをもたらす。観ているうちに「これはコンセプチャルなダンスの典型のひとつだな」と白けた。が、宮崎の好パフォーマンスと客席のヴィヴィッドな反応が折り重なって、計算以上の成果が生まれたのは認めざるを得ない。客席の熱狂的な反応に異議なし。今回のハイライトのひとつといえる。殊勲賞といったところか。

unica(『Butchar』)
宮保恵、ミナミカエ、坂田有妃子によるユニット。昨年の新人シリーズに参加した、坂田の振付けたトリオの作品を私は高く評価した。今回は三人姉妹が末の妹の飼っている鶏を殺して食べてしまうという話をモチーフに創作。少女趣味が強調されるのは好き嫌い別れるところだろう。ただ、妙に詩的なトーンを強調する、女学生の書いたかのごときテキストは陳腐でいただけない。ユニゾンや個々のダンスは比較的充実。空間構成にも意識を持ち、映像の使い方も面白いが、テーマとダンスとの融合が上手くいっていないのが残念だ。

スピロ平太(『スピロ平太のひとりのビッグショー』)
演劇・舞踏でキャリアのある踊り手。名のあるベテランが意を決し腰を据えて「新人シリーズ」に殴り込みをかけてくれたことに敬意を表したい。障子を破って登場する冒頭の展開は予期通りで、いささか脱力したが、その後の奔放に暴れまわる展開に、もう唖然とさせられる。最後に仕込まれたネタが、またもや脱力もの…。徹底したナンセンスが潔い。「インパクト」という点では、もっとも印象的な一人。審査員の間でも大きな話題となった。

もっしゅ(『プレイground M [ケイトの場合] 』)
歌手や女優、DJなどを多彩にこなす、この人ならではのショーだ。ヴォイスは悪くない。80年代オタク、映画マニアぶりも発揮され、ネタのわかる人は思わずニンマリしてしまう。「パーソナリティ」という点ではなかなか面白い。昨年に比べダンスシーンを増やした意欲は買うが、とって付けた感も。ダンス寄りの作風にせずとも良いが、ダンスを入れる以上今少し踊りとのバランスや入れ方に留意し、踊り自体の燃焼度や密度にもより意識を。

星野琴美(『微熱』)
闇のなか蛍光灯を体のさまざまな部位に当てたり、衣装の中に入れたりしながら踊っていくソロ。技術・表現力がある踊り手で、動きの一つひとつもていねいに紡がれる。展開や構成にも卒がない。完成度では一番かもしれない。けれども、全体としてみると類型的というかプラスアルファの個性やインパクトにやや乏しく新鮮味も薄い。技術と頭だけで作られたダンスとまでは言わないし前述したように美点もある。簡単に無視はできないのだが…。審査員が違えば上位になることがありえるかも、ということを付け加えておく。






新 人 シ リ ー ズ 10 に つ い て

13日間に39組という公演数は「フェスティバル」としても過剰である。それだけ数がいれば、均質であることは期待できないとも思われるだろう。だが、「新人シリーズ10」は、いい意味で期待を裏切った、豊かなものだった。
それは各作家の、地方大学や海外活動など多彩な出自、その結果としての美意識や技法の多様性にあらわれ、当然、そこには新たな可能性が芽吹く余地が生まれる。そのなかから「新人賞」該当者を選ぶのはきわめて困難なことだった。

審査をする上で着目した点は大きく三つ。
第一に、目の前で「なにがおこっているのか」と思わせる、身体や動き、演出、構成における〈不思議〉さ。第二に、そもそも、観客とのあいだで〈なにかをおこしているか〉どうか。第三に、こうした一切を含んだ〈センス〉である。

「新人賞」を獲得した川村美紀子さんは、四肢が爆発したようなインパクトある動きと、全体にさざ波がうつっていくような浮遊身体とのコントラストに、存在の不安と希望を感じさせるシーンがマッチし、くっきりした世界を身体ひとつで立ち上げた。

「オーディエンス賞」のビルヂングは、声や動きの勢いやキレ、立ち姿の美しさ、なじみ深い歌を用いたユーモアと哀感あるシーンの交錯などによって豊かな世界を紡ぎ、最後の加藤紗希によるソロダンスがすべてを凝縮した。

出場順に目についた作家は次の通り。潤湖は、少年合唱のきらきらした音を背景に少しずつずれながらの、多方向・多軸の動きで引き込みを誘った。

荒悠平作品は“倒れた椅子のそばにいるのに直さない”などアフォーダンス、また、脱いで並べた衣服が人間のように見え、それを一気に片付ける動きの軽さとギャップを生むなど、物質の触感をうまく使った空間造形が見事。

三体は、声と動きのユニゾンで身体の迫力を生み、緩急によって引き込みをうんだ。

矢萩竜太郎は、オノマトペにときどき意味のある言葉を挟むことによって笑いを生み、ストラヴィンスキ《春の祭典》に無手勝流の動きで応えて独自の身体を見せた。

柿本真二・庄司舞は、回転軸の変化、テンポの緩急、表情の違い、動きのずらしなどを巧みに組み合わせて空間を動かし、そこにそれぞれの表情や「暗さ」を巧みに使ったセノグラフィーがからむ、上質の作品。

宮崎喜子は、パイプ椅子と身体との関係についてありとあらゆる可能性を追求したあと、エルガー《威風堂々》をバックにした動きで大きくはじけ、そこには踊りの神が降りていた。RIE TASHIROの、なんら予備動作なしに各所が細かく動く身体は、それだけで「不思議」。

スピロ平太は、「暗黒舞踏」を思わせる身体の緊張と、バタフライを用いた後半の展開がコントラストを作った。

猫・猫・猫の作品は、映像や楽器演奏を交えたシーンの素早い転換が作品全体に緩急の大きな波をうんだ。

中村蓉は、きわめて上質の笑いで観客を引き込んだ上で、ダンスへと弾けていく。

そのほか、セノグラフィーが美しかった西村つむぎ、奇怪生物的身体に存在感があった石井則仁、ラジオ体操の曲をうまく使ったanomie3、ちょっとした身体の動きで曲の表情をうまくとらえた橋本正彦よく設計された組み立てにラインダンスが魅力的だった△公園小道具で親密な世界を立ち上げた三石祐子スリッパとの絡みで空間を構成した岩佐理恵と風間美沙巧みな台詞回しで日常的な世界を立ち上げ、激しい動きで日常を超えた原田香織植木鉢と絡む動きが勝手に“繁殖”する高橋佳子ベートーヴェンやボレロなどなじみ深いクラシック曲を無手勝流の身体で受け止めた武藤浩史訓練の行き届いた身体が印象的だったKAPPA-TE平松愛理の曲に会わせた可憐な動きでコミカルな世界を立ち上げた喜多真奈美わずかな動きが身体の内外を往還しながら広がっていく村松利紗、はっちゃけてはいたが憎めない上條奈美子登場したかと思うと、わずか20秒ほどで退場して観客の度肝を抜いたガイシャサヤカ飼っていた鶏を絞めて食べるというストーリーを語りながら、背景に映し出された巨大な手指によって鶏と人間の視点を転換したunica三人組ながら、デュエットの組み合わせがかわるたびにダンスの肌合いが変化するTres手に持ったライトによって身体と空間を変化させた星野琴美なども今後が楽しみである。

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