鈴木ユキオ Suzuki Yukio

97年アスベスト館にて舞踏を始め、室伏鴻等の作品に参加。00年より「金魚」として活動を開始。引きちぎれるまでに翻弄される切実な身体・ダンスと、圧倒的な空間美は、国内外から注目を集める。「ダンストリエンナーレトーキョー」「香港アートフェスティバル」等に参加。バレエダンサーへの振付や「スピッツ」「エゴラッピン」等のミュージシャンPV・ファッションブランド「ミナペルホネン」のカタログモデル出演等も行う。また、舞踏のメソッドを基礎にワークショップも実施。身体を丁寧に意識し、自分だけのダンスを見つけ出すプログラムを各地で開催している。03年STスポットよりラボアワード受賞。‘トヨタコレオグラフィーアワードでは、05年にオーディエンス賞、08年に次代を担う振付家賞(グランプリ)を受賞。'12年には、パリ市立劇場で開催された「Danse Elargie」にて、10組のファイナリストに選ばれた。

official web site 
http://www.suzu3.com/

「揮発性身体論―EVANESCERE」(シアタートラム)
photo by Kazuyuki Matsumotoi


  この世界に入るきっかけを教えてください
 もともとは映画が好きで、学校にもあまり行かず、ミニシアターに通うようになり、そのまま自然と、「アングラ」「寺山修二」の世界に興味を持っていきました。映画はお金がかかるから、演劇から始めようと思ったのですが、とにかく芝居が苦手で、、、エチュード(演劇の即興稽古)とか、本当にダメでしたね。「言葉」がでてこない。そんなとき、友人から「舞踏というおもしろいものがある」と聞き、アスベスト館のWSに通いました。
 元藤燁子さんをはじめ、大野一雄さん、笠井叡さんなど、錚々たる講師陣でしたよ。


 「踊る」ことは苦手ではなかったんですね(笑)
 そうですね。でも、当時は、「舞踏」が「ダンス」だって知らなかった。「舞踏」は「舞踏」というひとつのジャンルだと――。だから、自分が「踊っている」とも思っていませんでした。


自分のダンスを作るようになったきっかけは?
 ある日、自分は「舞踏」というものを、ただ真似ているだけじゃないかと気づいたんです。身体を白く塗らず、髪を伸ばしたら、自分はなにも出来ないんじゃないかと。その時、土方さんは土方さんの表現を作ったように、私は私の表現を作らなければいけないと思いました。舞踏の神髄は、そこにあるのではないかと。その時から、ダンサー/振付家としての活動が始まりました。


 
左:「etude」(ルーマニア・シビウ国際演劇祭2012)photo by Sebastian Marcovici   右:「etude」(世田谷美術館)photo by Yuichi Maruya


当時はどういうところで踊っていたのですか?
 ここdie pratzeをはじめ、セッションハウスやSTスポットなど、小さいながら、刺激ある劇場で作品を発表していました。全くダンスのことを知らず、借金をしながら、自主公演をうっていましたよ。そうしているうちに、「おもしろい」と言ってくれる人が増えてきて、、、今に至っています。ただ当時は舞踏をやっている友達しかいない状況で、全然違う事をはじめたので、あいつ何やってんだ?ってよく言われましたね。そうかといってダンスの世界に知り合いがいるわけでもなく、今もそうですが根なし草のように、自分のやっていることはなんだろうと、いつも不安になったり悩んだりしていました。それは今も変わらないですね。


今は、海外での活動も増えていますが、日本との違いを感じることはありますか?
 大きな違いはないですよ。観客の反応も同じです。ただ、海外は、劇場やフェスティバルによって、見に来る観客の好みがずいぶん違う印象があります。好みにあえば、「ブラボー」の喝采で拍手が鳴りやまず、好みにあわなければ、途中でも席を離れる。チケット代金もとてもリーズナブルなので、観劇がもっと身近なのかもしれませんね。


野外公演も多いですよね
 そうですね。魚市場や博物館の外階段、石の採掘場などでも踊ったことがあります。2012年は、「etude」(初演:2009年12月、世田谷美術館「INSIDE/OUT 建築の時間・ダンスの瞬間」)という作品で、ヨーロッパ公演を行ったのですが、イギリスのジュラシックコーストという世界遺産の海岸で海をバックに踊ったり、ルーマニア・シビウの広場などで公演を行いました。どしゃぶりの雨や、見渡す限りの天然スモーク(霧)に包まれたり、とても刺激的なツアーになりました。お客さんにもとても喜んでいただけたようです。ライブの良さで、野外ということもあり天候や機材の調達などどうなるかわからないのが、かえってよい緊張感を生むようです。お客さんとの一体感もありますし。


劇場との違いはありますか?
 ありません。私は、どんなに小さな劇場で踊るときも、もっともっと先を感じながら踊っています。例えば、(右手を頭上に挙げながら)こうして手を挙げているときは、月や星に手を触れるような感覚だし、(床をぐっと踏みながら)この足は、床を通り越して、地球の中心まで深く深く沈んでいるかもしれない。それは、野外であろうと、劇場であろうと、全く同じ感覚なのです。


踊っているときに、なにか考えていますか?
 Don’t think ,just feel!! です。ブルースリーもマイケルも同じことを言っていますね。
何も考えていません。ただ感じているだけです。


「揮発性身体論」「沈黙とはかりあえるほどに」など、作品のタイトルが印象的ですが、どこからくるんですか?
 「沈黙とはかりあえるほどに」は、武満徹さんのエッセイの中にでてくるのですが、彼の音に対する考え方がからだに対する考え方と同じだな、とおもってつけました。
「揮発性身体論」は、揮発という言葉が、常温で蒸発していくこと だそうで、からだもそのような状態にもっていけないか、と考えてつけました。
そのときに自分が考えているからだを追及していると、ふとひらめきます。特に締切が迫ってくると、ひらめきます(笑)。


作品を作るときに、大切にされていることはありますか?
 作品として成立する事も大切ですが、私の場合はからだに興味があるのでそこはぶれないようにしたいと思っています。いわゆる振付のように振りを付けるのではなく、からだそのものをいじっていく作業に時間をかけます。今はダンサーを固定し、カンパニーとして活動しているので、少しずつですが、からだの質感を共有していくことをしています。とても時間のかかる作業ですが、見えているものだけではなく、見えていないものがとても大切で、そこができなければ、延々とやりますね。もちろん、ソロの場合も、おなじです、終わりはありませんね。


 ダンスがみたい!14 ~崩れる身体
鈴木ユキオ「崩れる頭」
8月9日[木] 開演19:30
会場 d‐倉庫
照明/加藤泉 音響/齋藤梅生

告知映像
http://youtu.be/VCVJkXDQRbo

>>>「ダンスがみたい!14」公式サイト