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この夏、7月19日から開催される「ダンスがみたい!13」
様々な出演者の中でも異彩を放つ「東京ロケット」
出演される上杉満代さん、黒沢美香さん、堀江進司さんにお話を伺いました。

東京ロケットの生い立ちや経緯をお話しください。

上杉  どこからお話すればいいのでしょう・・・。美香さんの存在はずっとずっと前から知っていましたが、舞台は初演のロケットが初めてでした。堀江君とはその少し前に出会いました。

黒沢 2003年に上杉さんからお誘いがありました。上杉さんはすでに「東京ロケット」というタイトルでエネルギー渦巻くユニットメンバーを描いていました。最初は男性が堀江君ではなく武内靖彦さんでした。私の狭さアレルギーから私は武内さんの美学とは一緒に踊れないと同時にロケットに向かえなくなりました。上杉さんと話して、堀江君に決まったら急に発進できました。私にとってのロケットは、正直、憧れ、やる気が空回りする明るさです。

上杉 そういえば、初演の場が赤羽橋にあった 「麻布 die pratze」 でした。皆でタイトル考えましょうと言うことで。まずは文学的散文はペケで、記号だね、と。赤羽橋・・・とか、冷たい感じ、などと問答のあげく、赤羽橋駅から会場に向かう風景を語りあったりしました。なんと言っても東京タワーでした。誰だれさんの舞台を見に行くのにドカンと東京タワー。一瞬見入ってしまう。特に私は九州出身ですのでね。それはまるでロケットみたいだと。ミサイルには見えない世代ですので。そんな事を話しているうちに「東京ロケット」が、ポンと。皆でこれは素敵なタイトルだと興奮したのを覚えています。

堀江 タイトルの屹立する男根的イメージと、黒いハートマーク♥に大人のイヤらしさが出ていてビビりました。それまでは観客として客席から二人の踊りに心を撃たれていたので、ロケットの打ち合わせの際、ホリの不細工で器用じゃない所がいいと言われて、現実に引き戻され、妙に納得した記憶があります。


これまで一緒に踊ってみて、それぞれに感じた事をお話ください。

黒沢 踊ることを大切にしている人達だから同じ荷物を持ってしまったこと。

上杉 美香さんは頑なですね。その頑なさで肉体に独特のリズムを刻みますね。几帳面ですから。さて解放してくるかなぁ、とこちらが寄り添うと、ニヤリと逃げられます。意地悪いから。堀江君は優しい男です。舞台でも同じ。気使いが嬉しいですね。

堀江  実生活での私は、気を使い過ぎて疎まれるタイプです。優しいだなんて嬉しいですけど、微妙なキャラクターというのが正しいところです。 お二人は、日常のあらゆる事柄を表現に関連づけ、常に成熟を目指して生きています。高貴なのに飾らない存在です。


ベテランのお二人に対して、堀江さんの存在は謎です。個性的な女性二人の間で気苦労などありますか?

堀江 普段はフルタイムで働いていますが、余暇でダンスの稽古に通い続ける内、不思議な縁に導かれて今日まで来てしまいました。この先もわからないことだらけなので、舞台にまつわる苦心は私に課せられた役目です。ロケットは得難い貴重な体験と受け止めています。そんな緊張感がダンスに良い作用を及ぼせばいいのですが、全編即興で踊る作品なので、何が出来るのか保証も無いですし、本番が終わるまで、正直、気は休まりません。


なぜ、再び集まることになったのでしょうか?

黒沢 今回は私がお誘いしました。8年前の「東京ロケット」での交換の日々が単純で原始的で刺激的でした。皆さんのお力をお借りしてソロではできないハードルに向かう欲望が起きたからです。

上杉 少し長くなるかも知れませんが、お話します。私は再演を考えた事は有りませんでした。二度とないと思っていました。昨年の暮れに美香さんよりお電話を頂いたのです。その頃の私の状況は一昨年の公演。『舞踏秘儀 ベイビー・メランコリア - 夢六夜 - 』が終わって、六夜の貴重な体験に我が舞踏の発芽を心身に感じ入り、次のステップを願っていたところ。師、大野一雄氏が死去され追悼の日々となりました。青春からの師匠との出会いと教えを深く思考する倦怠と夢想の毎日でした。そんな時の突然の美香さんの声。東京ロケットです。目眩がしました。ましてや今の私は、毎年の「ダンスがみたい!」の公演にも足を向けない怠け者であり、はぐれ者です。受話器のなかの美香さんの声が懐かしさを誘ったのでしょうか。ご一緒しましょうと返事をしてしまったのです。受話器を置いて青ざめました。何故、再び集まるのか? 予定して何かじゃ、人生は退屈です。幸せも不幸せも有る時、突然の方が自分を知る事が出来ます。人生は即興がやはり面白い。こわ~いけれど。新たなデビューへの意気込みもまったく無いです。今までの経験から、意気込んで踊って良い事など有りません。自分に正直に素直に。楽しくと願うばかりです。

堀江  私は神の御業だと思っていました。 また世に問うてもいいんだよ、と。しかし、再びの話をいただいた時、険しい断崖に立ったような、荒涼とした気持ちになりました。



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上杉満代

50年福岡生まれ。幼少よりクラシックバレエを習い、上京して「谷桃子バレエ団」に入団。70年より舞踏家大野一雄に師事。75年ソロ活動を開始。80年作品『彼女』を発表、日本以外にも欧米各地に招聘され、高い評価を得る。87年より三年間フランスに滞在、コンテンポラリーダンサーとしてヨーロッパ各地を巡演。03年より舞踏秘儀『マダム・メランコリア』シリーズを発表。『マドモアゼル・メランコリア』を経て09〜10年連続舞踏公演『ベイビー・メランコリア −夢六夜− 』公演。09年度・第41回舞踊批評家協会賞受賞。
http://www.uesugimitsuyo.com/



即興についてや、その他に何か、踊りでの決め事はありますか?

黒沢 具体的には3人で尻を振るシーンはあります。

上杉 決め事という訳でもないですが、今思うと8年前は一台のロケットに3人で乗ろうとして、乗りそこなったり、片足だったり、自分から落ちたりしたように思います。今回私は、ロケットは3台だと思っています。それぞれが自分のハンドルをしっかり握ってエンジンを発射したいと願っています。そして同じ場所に着陸したいです。その着陸の場を今からしっかり探らなければなりません。勿論、同じ場と言っても火星や木星。違う星です。

堀江 女は美しくあれ、男はカッコつけるな。こんな言葉を胸に、探るダンスの決意がロケットの燃料になる。そう自分に課す心意気です。


8年振りに再び集る舞台です。 何を立ち上げようと、たくらんでいますか?

黒沢 8年前のロケットは次から次と噴射することは難しくありませんでした。今はそのロケットではありません。これからも踊ってどのように生きていくかを検証するかっこ悪さは立ちたいです。

上杉 今までの私ではまったく通用しない場の設定を自分達で仕掛けるのですから、姑息な事では通用しません。必要なのは、全てを楽しみに変える知恵と勇気。

堀江 空間を立ち上げるそばから消えてゆくダンスでも、見た人の胸に身体の軌跡が刺さって抜けない、そんな時間を少しでも立ち上げられたらと願っています。


音楽・照明を担当している曽我傑さんは、どのような方ですか?

上杉 曽我さんについては。私はもう15年近く一緒に仕事をしています。音楽の作曲、選曲そして照明。私の舞台にはなくては為らない存在です。お互いに沢山の舞台での体験を源に微細に大胆に遊び、即興の夢を語れる方です。

堀江 曽我さんは穏やかですが、時にその背後で見事な獣を飼いならしているとお見受けしました。情の厚い見張り役、影の支配人。曽我さんの照明と音が入る事でようやっと舞台を成立させる入り口に立てるので、「東京ロケット」4人目の構成員です。明治の頃、街のガス灯に火をつける点灯夫(てんとうふ)という役目の人がいたそうです。曽我さんがふと醸し出す雰囲気や、仕事に対する姿勢に通じる言葉と感じていたので、ここに告白します。

黒沢 以前、曽我さんは爆音で音響オペしがちで、私は警戒しました。それは曽我さんとおつき合いのある舞踏家の方達が曽我さんにそのように要求して曽我さんのアンテナを変質させてしまったのではないかと、僭越ですが私は見ています。曽我さんを通じて今の舞踏界が見え隠れします。照明効果や音響効果は効果であって、効果を手がかりに身体を立たせるのは虚弱で残念です。舞踏はかつて圧倒的で虚弱のはずがないのですから。曽我さんは海千山千で多くの表現者達と渡り歩いてきた万能者です。万能の悲しさも安心もあります。現場が大好きな方です。「東京ロケット」は曽我さんマストです。余談ですが8年前より10キロぐらい太りましたか。その体型の変化も8年ぶりの歳月経過を実感します。




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黒沢美香

横浜生まれ横浜育ち。5歳から舞踊家の両親(黒沢輝夫、下田栄子)のもとでモダンダンスを習う。82〜85年NYに滞在。当時のNYダウンタウン・ダンスシーンをリードする振付家の作品を踊り、国内外の公演に参加する傍ら、ジャドソン・グループのポスト・モダンダンスに衝撃を受けて、帰国後日本におけるコンテンポラリーダンスのパイオニアとなって、わが国のダンス界を引っ張っている。群舞の「黒沢美香&ダンサーズ」代表、ソロダンス「薔薇ノ人クラブ」代表の他に、“風間るり子”と “小石川道子”の別名でも踊る。最近は踊る大学教授陣「ミカヅキ会議」を発足。舞踊コンクールで1位を5度受賞の他、新人賞、優秀賞、第19回舞踊批評家協会賞、第2回日本ダンスフォーラム賞、第31回ニムラ賞など受賞。海外公演と全国でワークショップ多数。
http://www.k5.dion.ne.jp/~kurosawa/


ダンスがみたいのテーマである「何故、踊るのか?」「今、あなたのダンスは必要か?」 そんな想いを日々感じていますか?

黒沢 50年ぐらい毎日考えてます。

上杉 そのことでしたら、私も脳みそが焼けて飛び出し吐き気がするまで考え続けています。

堀江 年々舞台を観に行く回数は減っていて、芸術うんぬんの前に、お金の配分に悩まされている日常が正直なところです。それでも自分の直感を信じて少ない機会でも足を運んで何かを得たい。そんな感受性を維持するためにも、踊るという行為と出会ってしまったのだから、大切にしたいと思っています。身体を動かすことで心身は活性化されるし、良いダンスを見ると自分も踊ってみたくなる。そんなきっかけで踊り始めたのですが、自分のダンスが必要かと問われれば、自分の踊りじゃなくてもいいと思います。自ら作品を創造して世に問わずにいられない人ならば、自分のダンスは必要だと言い切れますよね。そして、その内容、質について苦心する。自分はそこまでの強い意志を継続出来ていませんが、出会った人とのつながりの中で、少なくとも踊り手として必要とされているのなら、その間は人前に立てる。現時点では自分のダンスは微力でも必要とされているけれど、この先も必要とされるかどうかはわからない。望み続けて動いていれば、その時々で必要とされるダンス活動は続いてゆくけれど、単なるエゴの発散ではなくて、歴史の上にも連なるような真剣な踊りの方が大事なんじゃないか、そういう気持ちで踊る人のダンスなら必要とされるだろう、というのが現在の心持ちです。


ダンス以外に夢中になっていることや、関心事は何かありますか?

黒沢 私は歩くことが好きです。病気で、まるで病人になり歩けない時もあったので歩いてると生きてる実感をもてます。歩くのは都内でもいいのです。駅間を何駅歩けるか、どこからいよいよ電車に乗ってしまうか、一人勝負を楽しんで歩きます。最近の最長はアイカワさんが突然お亡くなりになった日で、都内を5時間歩きました。

堀江 私は今、ミシンに夢中です。服を補修したり、つぎはぎやパッチワークをする時間をもっと増やしたいです。あっというまに時間が過ぎます。一人で時間を過ごすのが、ますます得意になってしまいました。40にもなって共に時間を過ごす人と出会えなかったり、関係も続かない不安に襲われます。こんな自己完結な趣味を持ってるようじゃ仕方ないですけど、それでもミシンはやっぱり楽しいですね。

上杉 夢中になれるのは本当に夢の中ばかり。好きな事は夢中になってはいけない玉遊び。チンジャラ。恋。命がけの事ばかりが好きです。疲れるので静かに絵を描いたりして過ごそうと努力しますが飽きてしまいます。今から学ばなくてはいけない大きな課題が、健康な趣味を楽しむ、です。




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堀江進司

71年栃木県佐野市生まれ。労働と表現の共存を志す。内的な子供時代、歌謡曲とラジオが友達。中学で「YMO」の洗礼を受け、文化芸術に開眼。上京を機に様々な舞台に触れて踊りたい衝動に駆られる。97年モダンダンス江原朋子の稽古場に通い始め、現在も続く様々な交流の基盤を授かり、歴史の連なりの上にあるダンスを学ぶ。後に上杉満代主催アヒルスタジオでの豊かな空気を感じ、生命にもつながる踊りの神秘に触れる。それがきっかけとなり03年「東京ロケット」参加。黒沢美香の美学に触れるため綱島道場に期間限定合流のはずが「黒沢美香&ダンサーズ」に合流、得難き試練の道に突入。ロケットやダンサーズの活動がきっかけとなり、07年には青山吉良との二人芝居、08年公開の今泉浩一監督作品・映画『初戀』において演技にも挑戦。拙きソロダンスも近年ようやく発表。


東京ロケット」を経て、ダンスの未来に何を思いますか?

黒沢 未来があると喜んでいたのは30才代まででした。未来より刹那派です。

上杉 枠組みの中でのダンスの未来には絶望しています。舞踏と言う枠組みも同じです。でも、体のなかに有る言葉を上手に表に出せない吃音者は見えない形で増えています。だから踊りは人間から生まれ続けるでしょう。私は過去の記憶と遊び溺れて今を見ています。だから私のロケットは逆噴射です。

堀江 稽古や本番で怪我を重ねながら中年に突入して、ようやく身体訓練の必要性、今更ですが少しずつわかってきました。日常の中で歩く事や、呼吸、そして柔軟。そういうことを普段から意識しないと踊る身体の入口にすら立てない。だから何よりもまず、健康であることが未来への手がかりで、そこから改めて始れば、不器用な身体でも風変わりな未来と出会えるかもしれない。邪道が正統と共存するためにも、刺激を与えあうダンスの創造には未来を感じられると思います。


今後の予定などありましたら、お聞かせください。

黒沢 「東京ロケット」の先の予定はありません。もう上杉さんにも堀江君にも会えない。

堀江 二人に握られた運命ですので。

上杉 二度とお逢いしませんと言って叉の逢瀬。恥知らずの私達です。20年後にどちらかの世でね。ふふっ。


本日はありがとうございました。

黒沢 ロケットの皆さんお客さんありがとうございます。

堀江 こちらこそ、ありがとうございました。「東京ロケット」、「ダンスがみたい!」への御来場を心よりお待ちしております♥

上杉 それでは皆様、ごきげんよう。8月に d-倉庫でお逢いいたしませう。

上杉さん、黒沢さん、堀江さん、インタビューありがとうございました!





上杉満代黒沢美香堀江進司 Mitsuyo UesuhgiMika KurosawaShinji Horie
『東京ロケット』
 会場/d-倉庫

あなたとは二度とお逢いしたくありません
愛されて全てを告白いたしました
これ以上の逢瀬は罪になります
今宵ご一緒したらお別れしましょ、東京ロケットで

8月9日(火)、10日(水) 19:30開演
音楽・照明/曽我傑
03年発足、翌年解散。8年間経ち再び集結。新たなデビューに挑みます。

「ダンスがみたい13」Website

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