interview no.115  劇団こむし・こむさ
 



■劇団こむし・こむさ
http://www.ichikiyo.com/komushi.htm
2014年10月、43年ぶりに劇団活動を再開させた劇団こむし・こむさ。
劇団の代表者である野村勇が書いたオリジナル作品「右から三つ目のベンチ」を、d-倉庫でお披露目しました。
「小さな職場内での縦社会、それに気が付き、おかしいことはおかしいと声をあげることの大切さ。正規職員も、嘱託も、そして外注のスタッフも、一人の人間ですものね。ラストはとても感動しました」
こんなご感想をいただいた一方、「少しは笑わせて下さい」と、肩に力が入り過ぎていた舞台への鋭い指摘もありました。
2015年11月、復活後2回目の公演は「たった二軒の回覧板」、前回と同じく野村勇によるオリジナル作品です。
思い切って喜劇に挑戦するという方向もありましたが、今回も「チョイワル」ならぬ「チョイマジ」の路線を走っています。マジメでありながらも、ちょっぴり可笑しい舞台が作れましたなら、少しは成長した証となるのですが。



劇団の代表であり、脚本・演出を担当している野村勇さんにインタビューをしました。

    劇団こむし・こむさを一言で言うと、どんな劇団ですか。

今のところは「真面目な劇団」です。
今はまだ、真面目にしか出来ないのかもしれません。自由に遊ぶことが出来ないでいます。
もしかしたら、ずっと「真面目な劇団」のままなのかもしれません。それが特徴になっていくのかもしれません。
ひょっとして化けるときが来たら、それはそれで面白いと思います。

    40年が過ぎ、還暦を越えて再結成したメンバーが中心ですが、この年齢を迎えて芝居を再開する意味はどこにあるとお考えですか。

この年齢を迎えて芝居を再開したのは、再開できる条件が整ったからです。
なんといっても、時間を自由に使えるようになったことが大きいと思います。
芝居作りを再開させて、そのことに「意味」が生まれるのは、つくり出したお芝居が良いものであったときなのだと覚悟しています。
小さな劇場や大きな劇場、さまざまなお芝居を観させていただいていますが、やっている方の年齢に関係なく、いい演技を見れば心が動きますし、いい作品に触れれば嫉妬もします。作る側に立ったときには、お客さんの心を動かすようなお芝居がつくれたらと願っています。


    復活の際には、再生があったり、新生があったり、輪廻があったりしますが、劇団こむし・こむさでは、どのようなことが起こっていますか。

そこで「起こっていること」といえば、メンバーそれぞれの人生のぶつかり合いです。
40数年前にもぶつかり合いはありました。議論し、けんかにもなりました。しかし、そのときのぶつかり合いは、観念的なものでした。
今は、それぞれのメンバーの背中には、これまでに生きてきた人生というものが張り付いています。良く言えば、個性が確立しています。悪く言えば、私も含めて、心も躰も柔らかくありません。
しかし、この、それぞれの人生のぶつかり合いは悪いばかりでもありません。何気ない一言に重みがあったりして、気付かされたり、考えを改めさせられたりしています。
「起こっていること」の中で大きいのは、音響家の存在です。
昔々、高校の演劇部の時代から仲間だった彼は、その後演劇の道を歩き続け、今も第一線で活動しています。そういうプロフェッショナルの存在は、音響だけでなく、いろいろな場面で、影響・刺激を与えてくれています。音響家の存在によって、私たちは今、新しい体験をさせてもらっているのだと実感しています。

    芝居では、観客との高次元での感性の交流を目指したりしますが、観客とはどのような関係でいたいですか。

いろいろな要素をこそぎ落していくと、最終的には「場」があり、「役者」がいて、「観客」がいれば、お芝居は成り立ちます。「観客」が居なくては、お芝居は成立しない。そんな大事な存在だと思います。
ヨーロッパやアメリカでは、演劇にしろ映画にしろ、良いと思わなければ、観客が途中で席を立つのが当たり前、と聞いています。
私は、そんな観客が好きです。ときどきそんな観客になります。
自分のお芝居で、そんなお客さんが居たらショックだとは思いますが、そういうお客さんにこそ、お芝居を作る側は育てられ、鍛えられるのではないでしょうか。

    劇団員は、それぞれに家族や仕事を抱え、日常生活の中にあります。これらの日常生活と素人芝居との折り合いについては、どのようにお考えですか。

玄人のお芝居と、素人のお芝居の違いですが、お芝居をすることによって食べていこうとしているか(実際に食べていけているかどうかは別にして)、そうではないかの違いだとすると、劇団こむし・こむさのお芝居は、素人のお芝居ということになります。
こんな言い方をすると、大言壮語と受け止められるかもしれませんが、お芝居を中身でとらえたときには、玄人も素人もないと考えています。
玄人であってもヒドイお芝居もありますし、素人だからといってあなどれないお芝居もあります。 評価の基準は一つしかありません。玄人のお芝居も、素人のお芝居も、演劇の神様は同じ目で見ていると私は考えています。
たしかに、家族や仕事を抱えての演劇活動は厳しいこともあるかと思いますが、その厳しさとお芝居への思いの折り合いをつけるのは、冷たいようですが、各人なのではないでしょうか。私にしても、いつ折り合いがつけられなくなる日が来るのか分かっていません。
44年前、劇団こむし・こむさが休止したとき、大学を卒業して就職するなど、メンバーそれぞれに、折り合いがつけられない状況が生まれていたように思います。
再開した劇団こむし・こむさに、再びそういう状況が生まれるとすれば、どういうときなのか? 病気、さらなる高齢化、メンバーの固定と枯渇?



    前回の『右から三つ目のベンチ』も、今回の『たった二軒の回覧板』も社会性のあるテーマに取り組んでいます。劇団こむし・こむさが目指している演劇とはどういうものでしょうか。

無責任な言い方かもしれませんが、「右から三つ目のベンチ」も「たった二軒の回覧板」も、書いてみた結果が、こういうものだったということなのです。
自分にとって切実感のあるものを戯曲の形にしていくという方法をとりました。ですから、はじめに「社会性のあるテーマ」があって、それを追求しようとしたものではありません。
ただ、演劇と社会は切り離せないと考えていますので、社会やそれを構成する人間の底の底に流れているものに、指の先でも届くものが作れたらいいなと夢想しています。
現在のところ、劇団こむし・こむさには、オリジナルの作品を創り出していくという共通認識があります。既成の作品ではなく、自分たちの中から、新しい作品を創り出していく。それを継続していくことで、劇団こむし・こむさの目指す演劇も徐々に明らかになっていく気がします。

    『たった二軒の回覧板』では、どのような点に注目して観てもらいたいですか。

登場人物に「愛敬」が感じられるかどうかですね。
人間の「愛敬」がにじみ出て、お客さんに感じ取っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

    ひとつの芝居の幕を開けるまでには、たくさんの人手が必要と思いますが、今後、劇団の仲間を増やしていくための意気込みを聞かせてください。

やはり、人間関係に尽きると思います。
昨年の出演者の中には、メンバーと同じ職場の人が居ました。その人は今回スタッフに回りました。今年の出演者の中には、メンバーの親戚が加わっています。客演の形で、プロダクションに所属している役者さんにも登場してもらいます。スタッフの方とも、今年新しい出会いがありました。
脚本の作り方、稽古の期間、稽古の方法などを工夫して、一緒にお芝居を作ろうと思ってくれる人が加わりやすい条件を整えていくことも必要だと考えています。





    今後の活動は?

順当に考えれば、2016年秋、復活第3回公演、ということになります。

劇団こむし・こむさ
『たった二軒の回覧板』
日程 > 11/10(火)
E-mail > hisamatu@s9.dion.ne.jp

  11/10
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