「我々は人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなし得ない」
俳優・演出家・仙台シアターラボ代表 野々下孝




我々は仙台を拠点に2010年から演劇活動を行なっているが、一貫して古典作品を原作にした現代劇を上演し続けている。我々にとって古典作品を上演するということは、古典を現代に甦らせることとは似て非なるものだ。古典は、形だけを残して体温も匂いも失ってしまった化石に例えられる。学者の仕事が化石の発掘作業だとしたら、演劇人の仕事は一体何なのか?
例えば、現代に古代の生物の化石が発掘されることは珍しいことではない。しかし現代に古代の生物が蘇ることは、ほとんど奇跡に等しい。そのため、姿や形や匂いや生態は大きな違和感とともに現代人に受け止められることだろう。演劇人はこの違和感を体感することや、生産することを、生理感覚を研ぎ澄まして行う。まず、俳優は古代を体感した際に感じた違和感を味わうことが重要になる。その違和感を俳優が確かに感じ取り、生理的に再体験できない限り、観客の時間の流れに押し流され、舞台上と観客席の時間は地続きになってしまい、日常と分断した時間を舞台上に作り出すことはできない。
我々が求めていることは、繋がっていた時間がまるで分断されたように眼前にあることや、目の前で起こっていることが、過去に起こっていたかのように生理的に感じられることである。だとしたら、それは俳優が今を生きていながら、今ではない時間を求めて、体内に違和感を作り出し、それを生理的に体感するということなのではないだろうか?
演技中の俳優は今と繋がっていながら、体内にある古代と繋がっている。そして何を言い出すのかと思われるかもしれないが、全ての人の古代に「ペスト」は眠っているのだ。我々は知らないうちに「ペスト」を保有している。そして人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなしえない。知らないうちに社会が内包する、死のシステムに、我々は生まれた瞬間から組み込まれ、判断もままならないうちに、「ペスト」を保有してしまう。そして直接人を殺すことはなくても、また間接的に人を殺したことさえなくても、人の死に同意したことに自動的になっている事がある。この際の「ペスト」とは疫病のペストではなく、知らないところで誰かを死に追いやっている、我々が持つ力の隠喩である。



子供達の自殺が止まらない。その要因は「ペスト」だと言える。
2020年の全国の自殺者数は、厚生労働省がまとめたデータを見ると、2019年より912人多い21081人だった。10年連続で減少していた自殺者数は、リーマン・ショック後の2009年以来、11年ぶりに前年を上回った。それは、新型コロナウイルス感染者の拡大で生活環境の変化や、雇用など先行きへの不安が心理的な負担になっているとみられる。
また、小中高生の自殺者数は499人で、統計のある1980年以来、最多だった。
厚生労働省では、「自殺はその多くが追い込まれた末の死であり、その多くが防ぐことができる社会的な問題」であるとして、総合的な自殺対策を推進するとしている。
自殺者の増加が社会的な問題である場合、市民は犠牲者であり加害者であると言える。この場合の加害者は殺人者、または殺人に加担した者という意味だ。清廉潔白であるためには、我々は殺害にたった一つの根拠も与えてはならない。我々は「人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなし得ない」世界に生きている。殺人は社会に組み込まれているのだから、この世界で生きながら殺人から免れるということは、死以外にはあり得ない。
どうしても殺人を免れようとする場合、この社会から決定的な追放に処せられてしまうだろう。なぜなら歴史は理性的な殺人者が作っているのだから。もし自分が殺人者にならないためには、犠牲者である他ない。

今回我々がアルベール・カミュ作「ペスト」から導き出したコンセプトは「我々は人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなし得ない」ということである。全員がペスト患者である世界で、どのようにしてペスト患者でなくなることができるだろう。そのことを、たった一人の男の死からある日、突然遺族になった三人の男性の生態を描写することで検証したいと思う。

誰もが胸の内に持っている「ペスト」を今公演をご覧になることで少しでも意識していただけたら幸いである。


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人間には理性(言葉)と肉体(無意識の苦悩と歓び)がある、
原田広美
(心理相談&夢実現「まどか研究所」主宰、『漱石の〈夢とトラウマ〉』著者)  



立本夏山「人間劇場」旗揚げ公演『行人日記』
2020年11月14日(土)&15日(日) 会場 三鷹SCOOL



 立本夏山を舞台で最初に見たのは、2019年2月のヴィクトル・ニジェリスコイとの共同演出・出演の『ふたり、崖の上で』(原作:『白痴』ドストエフスキー、於space EDGE,渋谷)だった。この時には、ロシア人の男性ピアニストの即興演奏も、大いに舞台を盛り上げた。そこに即興の要素が入っていたのは、偶然ではなかったかもしれない。

 かつて精神分析の祖であるフロイトは、患者の「無意識」を浮上させるために自由連想を用いた。それは、いわゆる即興である。立本の舞台演出では、言葉になりきらない水面下の無意識の苦悩や歓びを、立本を含む出演者達が、自らの内面を探りあてるような「身体(肉体)表現」で補完している。


 これこそが、立本夏山「人間劇場」の新しさであると私は思った。立本自身はそれを「セリフ劇とポスト・ドラマ演劇の間」と私に説明したが、要するに言葉や通常の演技以前の、「身体の現前」にかかわる「無意識的な領域」を含めて、「人間」と見ているわけである。これははっきり申せば、ひと昔前の左翼演劇にはなかった人間観である。これは、西側の左翼演劇陣営が憧れた共産主義・ソ連は、フロイトの精神分析や心理学および宗教を排除したことを振り返れば、理解ができるであろう。

 セリフを放ちながら身体を動かす演出と言えば、「夢の遊民社」や「チェルフィッシュ」を思い出すかもしれない。だが、立本の演出による俳優達の身体(肉体)の動きは、それらとは質がまるで異なっている。そもそも『行人』は、漱石が作家になった後、神経衰弱が再発して最も苦悩を深めた時の作品なのだ。登場人物達の深層に蠢(うごめ)く苦悩を身体(肉体)で表現する様(さま)は、暗黒舞踏を思い起こさせる深刻さのレイヤーに抵触している。

 私は『舞踏大全』の著者でもあるので、その部分には詳しいのだが、土方巽や大野一雄・慶人らが1959年に立ち上げた暗黒舞踏の身体性には、フランスの近代マイムであるドゥクルーのコーポラル・マイムと、ドイツ表現主義舞踊が混入している。ドゥクルーのマイムは、弟子だったジャン・ルイ・バローに引き継がれ、アルトーもそれを支えようとした。それは「ジェスト(身振り)」以前の「アティチュード(姿態)を重視するもので、しかもドュクルーはそのあり方を「散文的」ではなく「韻文的」だと言っている。

 暗黒舞踏の身体性に戻ると、フランスのコーポラル・マイムとドイツ表現主義舞踊の土台が理解されずに、さらにそこに付加された日本のオリジナリティーである〈稲作・着物・和室文化〉などから影響を得た、〈ガニ股、スリ足、腰折れ、低い重心、脚を高く上げない身体性〉ばかりが舞踏の特質として声高に言われることもある。だが、それは1970年代の日本回帰の時代のフォークロアの視点からの解釈であり、それだけでは、暗黒舞踏の前衛性と、海外にも通用した先進的な国際性の獲得につながり得た部分が、削(そ)ぎ落とされてしまうことになる。
  

 ちなみに冒頭に名前を記したニジェリスコイは、スタニスラフスキー・システムと、ドュクルーのマイムを演技の土台としている。ニジェリスコイが来日して立教大学で演劇指導をしていた際、学生達と共にニジェリスコイ自身も出演した劇の上演時にも、そして2年前に立本との共演で見た『ふたり、崖の上で』でも、ニジェリスコイは上演の冒頭にドゥクルーのマイムを入れていた。ソ連時代の演劇を私は知らない。だが、それ以前に形成されたスタニスラフスキー・システムの主軸には、このマイムと同様に、心身の無意識的な領域へのアプローチが含まれている。

 私にとって、立本の身体性には、ニジェリスコイと共演した『ふたり、崖の上で』の時のイメージが付きまとう。だが立本の身体性には、これまで彼が関心を寄せたいくつかのメソッドの身体性が融合しているそうだ。それでも、ここでドゥクルーの著作(『マイムの言葉』ブリュッケ)から、少し引用してみよう。まずは、「人生の中で生じる苦悩の動きを、悩みのない動きで演じるのは不真面目であると思っている」。これは、面白い!今回の上演にも、ぴたりとあてはまるような所がある。

 あるいは「主人公が問題に直面する時に経験する隠された感情を、動きで表現すること」。また「内心の動きを呼び覚ますために、身体で動きをつくり出す」。そして極め付けとして、「フロイトがあなたに言わせようとしたこと、それをマイムが私たちに演じさせるのです」。

 特に最後の言葉は、フロイトの精神分析の治療室の寝椅子の上で、患者が自由連想で無意識の領域に入って行く際の様子を示すものだと思われるので、まさに「言葉にならない無意識の領域」を、「身体(マイム)で演じること」が語られているわけである。要するにここに引用したいくつかのフレーズは、私が立本の演出を見て、重なるものがあると感じさせられたドュクルーの言葉なのである。

 立本の演出では、独白をした4人の登場人物の誰もが、最初のセリフを放つ前に、身体・肉体を用いた苦悩などの表現をある時間をかけて行い、特に大詰めに近づいた3人目、4人目の登場人物は、長い独白の終わりにも、セリフと重なる形で、印象的な身体・肉体表現の場を与えられていた。


 ここでようやく『行人日記』(作:稲垣和俊)の具体的な内容に入ると、コロナ禍で直接的な接触がままならない今年の世相を反映するかのように、4人の登場人物達が、一人一人順を追って、次の登場人物にビデオレターを送る、という形式が目新しかった。独白で綴られる進行からは、芥川龍之介の『藪の中』も思い出されるが、『行人日記』ではビデオレターは次の登場人物に送られたものだった。

 まず原沢(『行人』の一郎の友人のHさん)から、康之(『行人』の一郎)の弟の智春(『行人』の二郎)へ送られたビデオレターの内容が舞台上で演じられる。登場した人物達の順番は、原沢(兄の友人)→智春(弟)→奈々江(兄の妻)→康之(兄)という順だった。各々の役を演じたのは、伊原雨草、神田智史、福島梓、立本夏山である。

 ここで、この劇の粗筋をまとめて述べると「妻の奈々江が、自分よりも智春(弟)のことを愛しているのではないかと疑った康之(兄)が、家族旅行での旅先の和歌山から、弟と妻の2人だけをさらに海沿いの市内へ一泊の旅に出させて、妻の貞操を試めすように弟に依頼する」と言うものだ。

 しぶしぶと兄嫁と出かけた智春だったが、折しも台風に見舞われ、2人は兄達のいる宿に戻れなくなり、宿の一部屋で一晩を明かす。そして康之(兄)は、その後、智春(弟)が真正直に、奈々江との一晩の報告をして来ないことに疑念を持ち、さらに苦悩を深めた。その後、その悶々と深まった苦悩を癒すかのように、康之(兄)は、友人の原沢と旅に出る。その旅先から、康之(兄)の様子をビデオレターにして智春(弟)に送って来た原沢の場面が、『行人日記』の冒頭だった。
  
                               

 ところで原作の漱石の『行人』では、兄夫婦の結婚以前から、弟(独身)が義姉の知人であった所にも、「妻と弟の関係」に疑念が湧く余地があった。それが今回の『行人日記』では、弟と義姉は、大学で同じゼミに通った仲ということになっていた。これで、『行人』の三角関係が、ぐっと身近で現代風なものへ移行されたと言えるだろう。

 そもそも原作者の漱石にとっても、自身の現実問題として、自分と反りの合わない兄(弟ではないが)と妻(鏡子)は、自分が妻と見合いをする前からの知り合いだった。そして『行人』は、漱石が一人前の作家になり、しばらくして始まった前期三部作『三四郎』『それから』『門』を経た後の、後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』の中の一作なのである。


立本夏山©小杉朋子
 実は、前期三部作までは、漱石の青春期の最大の失恋対象で、漱石ではなく学友(後の美学者・大塚保治)の妻となった大塚楠緒子(歌人・小説家)が、まだ健在だった。この大塚楠緒子は、漱石文学の始まりから前期三部作までのミューズだった。

 だが楠緒子は、四女一男の母になりながらも、病のために35才で早世。それは、漱石が43才の時だった。漱石の後期三部作は、その直後の数年間に描かれた世界である。そのためなのか、そこでは、作品全体のロマンの要素も減少していると感じられる。

 また振り返れば漱石文学では、結婚をめぐる「男男女」の三角関係が、ほとんどの作品の骨子である。そしてミューズであった楠緒子が最期の療養に入った頃には、漱石も『門』を脱稿後、胃潰瘍の吐血で30分もの仮死状態になり、後期三部作に入った『彼岸過迄』の頃には、ミューズの喪失に加え、執筆先の「朝日新聞」に人事異動があり、「朝日新聞社」や弟子達との関係も悪化した。

 漱石は関係が悪化した「朝日新聞」に、三度も辞表を出すも受理されず、五女ひな子も急逝してしまう。そんなこんなで『行人』の頃には神経衰弱が再発して、鏡子は漱石の「虫(疳の虫)封じ」の札を貼った。それを見つけた漱石が癇癪を起すと、鏡子は漱石の目に触れぬところに貼ればよいと考え、近所に住む漱石の兄の家に札を貼りに行った。このような所にも、兄と鏡子に自分が出し抜かれているのではないかという、漱石の不安の核があった。

 このような現実を起点に、『行人』の「妻と弟を一泊させて、妻を試す」という粗筋が生まれたものと推測する。『行人』では一郎夫婦と娘や二郎(独身)の他にも、両親や妹も一緒に暮らす拡大家族が描かれている。そして、一郎が気難しい性格に育った要因として、母が一郎を長男として尊重しながらも、実は気性が合わないために変人扱いし、影では二郎を可愛がるという構図も描かれている。

 その著者である漱石はと言えば、実父から「いらない子、厄介者扱い」を受け、3人いた兄のうちの三番目で、兄の中ではただ一人生き残った反りの合わない兄、そしてやはり2人いた姉のうちの生き残りの反りの合わなかった下の姉、そして鏡子からも「変人扱い」されることがあったようである。
  
                             

 『行人日記』では、拡大家族については省かれ、生育歴の中で苦悩を抱えた「結果としての康之(兄)」と妻の奈々江、そして智春(弟)と、友人の原沢が登場する。『行人』では最後に、兄と旅をする友人のHさんが、弟に何度も手紙で様子を知らせて来るのだが、『行人日記』の冒頭の原沢(友人)から智春(弟)へのビデオレターは、ここに起因していると言えるだろう。

 ただ『行人』では、兄と妻は関係が難しくとも、弟には、兄からは見えない「兄嫁のかわいらしさ」が理解できる。また『行人』では、母との関係性でも、兄は変人扱いされ、弟は可愛がられるという違いがある。要するに兄と弟では、気質が異なる印象がある。

 その上に『門』では、気難しい兄と旅ができるのは、兄の気質を真正面から受け止め得るHさん、という印象があり、要するに兄とHさんは、気質に共通項があるという感がある。そのような『行人』の視点からは、『行人日記』の原沢(友人)役の伊原雨草と、智治(弟)役の神田智史の配役を、逆にしたものも見てみたい気がした。私には、気質的には、康之(兄)役の立本と神田(弟役)の方が、立本と伊原(友人役)よりも、似通って感じられたからだ。

 『行人日記』の原沢役(伊原)の、ハンチングに黒眼鏡にトレンチコートという服装は、探偵のようにも感じられ、漱石の『行人』の前作『彼岸過迄』の冒頭に登場する、親友の叔父から探偵を依頼される敬太郎という若者が思い出された。この辺りからも『行人日記』は、『行人』の兄・妻・弟の関係性を骨子として生かしながらも、稲垣が原作に必ずしもとらわれずに自らの考察により、セリフおよび各登場人物の苦悩や思いを描いていることが理解できた。

 考えればビデオレターという形式は、『行人』の世界から見ると、超現代的である。弟と兄嫁が大学時代に同じサークルに属していた、というのも現代風だ。ジェラート、冷蔵庫、生姜焼き・・すべてがコンテンポラリーな状況に置き換えられていると言えよう。

 そして、この文章の冒頭で、言葉「意識」と、身体・肉体表現の「無意識」という2つのレイヤーに触れたように、稲垣の台本によるセリフには、いたるところで、こころの襞(ひだ)ともいうべき、登場人物達の深層の何層ものレイヤーにまたがる言葉が立ち現れて来る。つまりセリフそのものが、すでに日常的な意識から、無意識的な領域への自由連想の入口の様(さま)を呈している。

 とは言え、柱になるのは妻と弟に懐疑を向ける康之に内在する苦悩であり、康之が分かりたいと願うのは、妻の「本当の本当」だった。だからこそ、妻・奈々江のセリフには「間(ま)。」が多いのではないか。もとより、かなり長い独白ではあるが、他の登場人物達と異なり、奈々江の独白には、何度も何度も「間(ま)。」が現れ、そのたびに深層のレイヤーが一枚一枚剥(は)がされて行くかの感があった。

 そして奈々江の冒頭の長セリフが終わり、最初の「間。」が現れる直前には、「わたしの本当の本当のところを・・聞いて・・あなた大丈夫なのかな」とあり、「耐えられないと思うのなら、ここで・・今すぐ停止ボタンを押して。お願いします」というセリフが続く。つまり智春と一緒に過ごした一夜について、康之が奈々江の「本当の本当のところ」を知る覚悟があるのかを改めて問うている。だが、これが知りたくて妻と弟の外泊を目論んだ兄であれば、それを聞くであろうという推測が成り立つ。
  
                              

 しかるに、この部分は、漱石の『行人』では、あまり書かれていない部分なのである。それは漱石が『行人』で、おそらく兄の一郎を最も自分に近い分身として描いたために、その対極にある妻の気持ちを描くのは最も難解であったためなのだろう。だから、『行人日記』の中で、稲垣がオリジナリティーを最も生かし得るのは、この奈々江のパートである。また奈々江のビデオレターを直接に、夫の康之が受け取るという形をとったのも、『行人日記』独自の新しいベクトルとなった。

 そういうこともあってか、奈々江役の福島梓の演技は、設定がコンテンポラリーに置き換えられた上に、深層心理を掘り起こされたこのパートに相応しい熱演だった。前述のように「間。」を繰り返しながら、奥へ奥へと入って行く。人間の心理の最底辺にあるのは叫びであり、怒りや悲しみであり、また絶望と希望だろうが、そのようなレイヤーを丹念に演じて行く。そこに行き着くまで過程を丹念に追うセリフだと言うこともあるのか、奈々江と康之のパートは、初めの二人よりも長い。

 だが上演の口火を切った原沢役の伊原雨草のセリフでは、康之の「孤独、恐怖、偽り」に触れ、康之の奈々江に対するDV(家庭内暴力)までを呈示した。それに続き、神田智史が演じた弟の智春には、兄の苦悩がのしかかった部分と、兄に対する反抗が同時に現れていた。義姉との外泊を半ば強要された智春は、それに対する反発があり、兄が知りたい「義姉との一夜」の「本当の本当」をわざとすぐには兄に伝え得なかった。これが兄・康之の苦悩と疑い、ひいては人間不信を高めてしまう。

 また兄への反抗と共に、あの晩、智春は奈々江に誘われているようにも感じ、自分自身も奈々江に触れてみたいという関心があった。そのような話を兄の耳に入れるのは、しのびなかったに違いない。それにしても、智春にとっては、あの晩のような状況下であってさえ、長年を共にして来た兄の信頼を裏切らないでいたい、という気持ちの方が勝ったという事実も重要であろう。

 それでも智春が、兄にすぐには真実を伝えられないと躊躇した分だけ、奈々江が正面から自分の気持ちを夫に伝えた情熱には負けることになり、期せずして、兄と兄嫁の仲を取り持つ方向へ加担することになったとも言えるだろうか。これは血の繋がりである兄弟の絆よりも、元は他人でありながら、選び取った夫婦の絆が勝利できる可能性の希望を、苦悩する康之が発案した「妻と弟を外泊させる」という奇策により、兄が妻の夫として勝利できる道を見出す可能性を示唆したようにも感じられるのだ。


©小杉朋子
 漱石の『行人』でも、一郎は深く悩み、「死ぬか、気が違うか、宗教に入るか」と思い詰めつつ、妻と二郎と外泊させた後の2人の気まずさをも味方に、二郎を家から出して下宿させることにより、妻と弟のみならず、母と弟の潜在的な連合意識をも削ぎ落し、ゆくゆくは父の後を引き継ぎ、次の家長になる準備を期せずして整えて行く。

 だが漱石は『行人』執筆中、妻と二郎の外泊後の部分に取りかかる前に、強度の精神衰弱の再発に加え、以前にも30分の仮死状態にまで陥った胃潰瘍もが再発し、5ケ月間の療養生活を送らなければならなかった。つまり漱石は、2人の外泊後を綴るにあたり、相当に苦しんだということになる。要するに私には、それらが心身の不調であっても、創作上のプレッシャーと無関係ではなかったように思われてならない。

 その辺りの複雑さ、苦悩が重たく、妻を殴ることもある康之と、そのような夫の妻である奈々江の間に〈横たわるもの〉に向かって行ったのが、稲垣の台本だということになる。
  
                               

 その苦悩は、おそらく神経衰弱を再発させた漱石の苦悩と無関係ではなく、漱石と妻・鏡子が出会う以前から、各々が持っていた潜在的な苦悩およびそれに付随する考え方・感じ方・表現の癖であり、その各々の苦悩が出会ったための苦悩でもあるだろう。ここでは漱石が、おそらく自分と鏡子の人間関係辺りから想を得て書いたであろうという予測の下に、上記のように書いたが、正確には『行人』ならば一郎と直であり、『行人日記』では康之と奈々江のそれである。

 だが同じような関係性の妙や難解さに悩むのは、彼らに限定されたことではなく、つまりこのような夫婦関係の行き詰まりというものは、多かれ少なかれ一般的なものでもあって、たとえ神経衰弱などの病とは無関係であったとしても、互いの苦悩や癖がぶつかり合って、何年かのうちには身動きが取れないポイントに差しかかることも少なくないものだ。

 奈々江は、智春を異性としては意識しないが、苦悩する夫といる時よりも楽しい。康之と結婚してよかった、とも思っている。それでも、やはり夫のことが分からない。何をしてほしいのか、なぜ殴られたのか、智春との仲を疑われたのか、そうでなければ、なおさら自分がどうすれば康之にとってよいのかが分からない。きっと、だからなのだろう・・。あの晩も、もし智春の方から求めて来たのであれば、応じてもよいという気持ちさえあったのだ。

 しかし奈々江は、このような「本当の本当」を語り合うよりも、子供の前だけでも夫婦仲を取り繕ってほしいと思っている。ある諦めを持ちながら、家族を演じるのも一般的なのであり、「何となくの幸せを感じられればいい」とも思うのだ。「あなたが、わたしを分からないように、わたしもあなたが分からない」、互いに隠したいこと、隠していることが山ほどあっても・・、「生きていけたら」よいようにも思っている・・、また諦めと共に、認め合うことも大切だと思っている・・。
  
                           

 そして最後の登場人物が、立本夏山が演じる康之である。奈々江のビデオレターは康之あてであったが、康之のビデオレターは、奈々江ではなく、冒頭に登場した原沢あてである。ここに康之の孤独と、一度スレ違えば、簡単には和合に至らない、リアリティーが感じられるとも言えよう。それでも康之は原沢に向かい、「俺を、苦しめているものはなんだ。」と語りかける。この問いかけには、苦悩の原因を妻ではなく、あらかじめ自身の内面に見出そうとする姿勢が表出されていると言えるのではないか。

 「俺は、どうすればいい、何を感じればいい、何をすればいい・・」「笑う前に考えてしまう。/喋る前に考えてしまう。/寝る前に、食べる前に、怒る前に、殴る前に、考えてしまう。」そうなのだ、苦悩する者は、「感じる」よりも、「考えて」しまう者なのである。「笑ったほうがいいのか、笑わないほうがいいのか、笑うならどのような笑い方がいいのか」、身体・肉体から「感情や衝動」が湧き上がるより前に、「それが正しいのか、何が正しいのか」(原田による)を考えてしまう者が苦悩者なのである。

 要するに「何が正しいのか?」と、常に自らに判断を促し、考えてしまうという、トラウマによる「感情の抑圧」があるのだとも言えよう。それは、ありのままの自分を受けとめてもらえなかった生育歴による、常に「自分の自然」に対して、それが正しいのか否かをジャッジしようとする、悲しい自己規制なのではないだろうか。ここが康之の「あらかじめの苦悩」の核であったに違いない。

 また『行人』の一郎と同じく、『行人日記』の康之も、人を「あやせない」男である。それは自分の内面のトラウマが育てた「抑圧と苦悩」が大き過ぎるからだろう。また奈々江も、夫を「あやす」ことがそれほど得意ではないようだ。だが、そこには年上の気難しい夫の苦悩の前に、うちひしがれてしまった妻の姿があるようにも見える。それでも、真正直に夫にビデオレターを送る奈々江の潜在意識には、まだ希望を見出そうとする愛が残っているのではないか。

 あるいは結婚前と後で互いが変わったのか否か、それは互いのトラウマによるあらかじめの苦悩が接近し、時間の経過と関係性の持続という体験を経た先の、互いの変容なのではないかと私は思う。

 康之が奈々江に言う、どちらが「(相手を)蔑んでいる」のか?という問いは、問いかける者自身が、自らの中に、まず自らへの「蔑み」という、おそらく幼年期に受けたトラウマとしての「蔑み」を内包するがために生じたのではないだろうか。だが自己受容の真逆が「蔑み」であるとすれば、類似のベクトルは多かれ少なかれ、また強弱の差はあれども、人々の心の内によく見られるものである。

 ここに書いて来たような康之ではあるが、独白の終盤、ライトの色がブルーから紫がかって濃くなった中で、内面をえぐるような身体・肉体表現と共に、心身の深層から古い記憶(思い出)が夢のように語られるセリフが現れる。そこに現れる女の子は、若き日の妻の姿のようでもあり、康之の心の底の永遠のマドンナのようでもあった。

 以下は、私の俗な見方かもしれないが、時には康之に疲れた末の奈々江の心の鏡に、智春の姿が映ったとしても、それに対する康之にも奈々江に限らない、永遠のマドンナが心の底に宿っているという安心感。これは、漱石の『行人』で、Hさんが一郎に与えた理解と共感とは少し異なるものではあるが、稲垣が康之に与えた愛情という点では、同様の癒しであったと思われた。
  
                        

 最後になるが、立本夏山(Tachimoto Kazan)は、「文学座」「俳優座」の研究所や「流山児☆事務所」を経て、2011年からひとり芝居を始め、2014年Arts Chiyoda 3331千代田芸術祭で伊藤千枝賞受賞。2016年に、フランス「アヴィニヨン演劇祭」にてアンジェリカ・リデル演出作品「¿QUÉ HARÉ YO CON ESTA ESPADA?」に出演し、世界各国を巡演した。

 ひとり芝居では、ペソア、アルトー、ドストエフスキー、太宰治、寺山修司などの作品を舞台化。2018年には高村光太郎作「智恵子抄」のひとり芝居で国内ツアーを敢行。2019年〜20年には、世界中の文学作品を扱った12ヶ月連続ひとり芝居「Twelve」を上演した。2020年11月に旗揚げした、「人間劇場」のこれからが期待される。

*注:『マイムの言葉―思考する身体』エティンヌ・ドゥクルー(著)、並木孝雄(監修)、小野暢子(訳)、及川廣信(解説)、ブリュッケ1999年


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水場を巡る生者の生態から、死者の葬列への見事な転換
藤原央登(劇評家)  

堀企画『水の駅』
2020年11月13日(金)~23日(月祝) 会場 アトリエ春風舎

 平田オリザ『東京ノート』(1994年)に続く堀企画の2作目は、現代演劇史における古典のひとつ、故・太田省吾が率いた転形劇場の代表作『水の駅』(1981年初演)。『トウキョウノート』(2019年12月、アトリエ春風舎)ではシーンをバラバラにしたテキストレジーよりも、美術館のロビーから闇の広がる無機質な空間演出が印象的だった。そこに登場する人物たちは、暗闇の墓地に浮かぶ人玉のように実体が不透明に感じられた。そこでフェルメールの絵や家族の話といった、生活感のある市井の人々の会話が交わされる。人物が置かれた状況と会話内容の不釣り合いな様が、観る者に不気味なひっかかりを与える作品であった。『トウキョウノート』と比べれば『水の駅』は作品を解体するようなことはしていないが、前作と同じく不穏さを抱かせる演出が成されている。構成・演出を担う、青年団の所属俳優でもある堀夏子の志向が、この辺にあることが了解された。
 
 劇場を横長に使った空間。道のように横に通した演技エリアを、客席がL字に近い恰好で囲むように設けられている。舞台奥から登場する人物が演技エリアを通過して、開け放たれた劇場の入り口へ退場してゆく。暖かに発光するエジソンバルブが天井からいくつか垂れ下がっただけの、全体的に暗い空間。だから開演して少女(北村美岬)の登場からしばらくして、『水の駅』に欠かせない水音が聞こえた際はいささいか驚いた。劇空間には蛇口らしき舞台美術が認められなかったからだ。しかし沈黙を破る水音は、なんと劇場の入り口寄りの天井から流れてきた。ちょろちょろと厳かに蛇口から流れる転形劇場の『水の音』とは違い、天井から床板の一部分を取り除いた箇所まで、数メートルの距離を音を立てて流れてゆくのだ。しばらくして水流はやや緩やかになったが、この時のそれは細くはあるが滝のような強さで勢いよく流れた。アトリエ春風舎の床下が用水路になっていることは、『トウキョウノート』のアフタートークで話されていたことであった。これをうまく使った作品を創りたいと堀は発言していたが、意表を突く水の使い方によって見事にそれを実現した。空間全体が暗いこともあって、スポットが水流に当たるとキラキラと光って神秘的ですらある。天井から流れる水と、かなり深いと思われる地下の用水路に流れ込む水。空間には2つの水音が混ざり合って響き続ける。
 

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 登場人物たちはこの水流に引き寄せられるようにやってきて、しばし関係して去ってゆく。水筒に水を入れる少女。我先に水にありつこうと、競い合う2人の男(木村巴秋、黒澤多生)のやりとりはコミカルだ。パラソルを持って登場する女(藤谷みき)は、用水路に寝そべって頭を突き出して、後頭部を水で濡らす。彼女は後にベビーカーを押して登場した男(近藤強)と関係を持つ。ワンピースから大き目のエプロンを取り出した女が、それを床に敷いて座る。傍に立った男の指にゆっくりと自身の手を這わせてから、強く腕にしがみつく。その後、二人して正座をしてから去ってゆく。
 
 俳優の動きは、コップに水を受ける際や手を濡らす際はサッと機敏に動かしたり、人とボディーコンタクトを取った際に苦悶の表情を浮かべたりする他は、おおむね転形劇場の「沈黙劇」さながら、無表情でゆっくりとした動きだ。だが『小町風伝』(1977年初演)で2メートルを5分かけて歩くと言われたような、太田省吾の演劇論を徹底するわけではない。無表情な登場人物の動きを通して観客が彼らの内面を探ったり、観客自身の感情を勝手に人物に投影したり、はたまた関節の微細な動きを通して身体を再考させられたりするような、身体論的な哲学を誘発させられはしない。しかしコマを落として引き延ばされた時間の感覚に関しては、本家と通底する哲学がある。しかしそれも個人の内面に収斂するものではない。不可逆性と連続性を伴う悠久の時間に、点景のごとき存在としての人が「移動」(生きて死んでゆく)することを、風景として活写することが本作の主眼である。
 

©bozzo
 パラソルを持った女とベビーカーを押してきた男が去った後、空間には誰もいなくなる。ここで初めてエリック・サティ『ジムノペディ』がうっすらと流れる。その中で、床だけを照らすスポットが3回ほど、ベビーカーに向かって人が歩くように当たった後、最後に空になったベビーカーを照らす。その一連の過程は特定の個人ではなく不在の人間、ということは他の誰でもありえる人間が登場人物と同じように歩く様を想起させられる。と同時にベビーカーを照らすことが、新たに生まれてくる人間が歩むであろう人生への、前向きな希望を抱かせる。天井から流れて用水路に流れる水と、人物の登退場。上下と左右、2つの一方向に流れるベクトルと生命の源である水は、時間の経過を伴って生きる人間の諸相を示すのである。
 
 ここまではいわば、本作における前半部分と言えるかもしれない。太田省吾の原作におおむね沿った流れともいえよう。しかし生の誕生を予感させるシーンが終わってからの展開は、それまでとは真逆の、死を引き連れた不穏な雰囲気が横溢してくる。劇の展開と雰囲気が生から死へといつの間にか変化する様で、そのようなものとしての人生を感じさせられるのだ。
 
 製作スタッフのような男が「普通」の動きでベビーカーを袖に回収した後、登場するのは男女のカップル(中條玲、瀧澤綾音)だ。男は水場に辿り着く前に倒れ込む。脚を折り曲げ、手を伸ばして制止する様は、まるで餓死者のようだ。彼の脇を通り過ぎた女は用水路に足を入れて座ってから、上げた片足や腿で水を受ける。彼女は裸足でかつ短いパンツ姿なので、水滴が白い素脚に流れて艶めかしい。そんな女を、起き上がった男が後ろから抱きかかえた後、立ち上がってから両手で水を掬い、女の両腿に垂らす。性行為を想起させる官能的なやりとりの後、突然女は後方に逃げる。その後を追う男に対して女は恐怖の態を示すが、やがて勢いよく男に飛びつく。揉み合いのようでもあり激しいセックスでもあるような、暴力と性が同居する絡みを経て、男は女を背負って去る。次に少女が再びやって来るがすぐに座り込む。続いて先ほどのスタッフ風の男が、これまた機敏な動きでやって来る。彼が小脇に下げた機械からは、ラジオ講座?のような音声が流れている。水で顔と頭を洗った彼は、スマホを床に置いて去る。そこからは水が流れる機械音が聞こえてくる。暴力性を伴う男女のやり取りで、これまでとは異なってささくれだった雰囲気に包まれるが、スタッフ風の男の登場によって劇の流れが明確に遮断される。他の登場人物とは明らかに異なる立ち居振る舞いは、「今日」を生きる日雇い労働者のようにも見えなくもない。明らかなのは、彼の存在とスマホから流れる水音が、劇世界における強烈な異化になっているということである。それは不可逆的だと思われていた、劇を流れる創造的な時間の寸断である。その寸断はまた、前向きな生を抱かせた登場人物たちの死をも意味するであろう。
 

©bozzo
 最後は舞台背景の階段から登場人物たちが、ロープを持って一列で降りてくる。その最後尾に少女が加わるロープには、長方形の薄い布が何枚か垂れ下がっている。私が座った場所からは、人物たちは布の向こう側に立つ格好になる。そのためうっすらと透けた人間の歩行は、後半部分の不穏な雰囲気とを考え併せれば、ゆらゆらとした幽霊に見えた。水を求めてやって来る生者たちが織り成す風景が、不特定であり未来の不在の人物への想起を折り返しにして、もはやこの世にはいない無数の死者の葬列へと転換する。この時、天井から流れる水も生命を維持するものではなく、死に水に思えてくるのである。この、ドラマ全体で生と死を表現する手つきに、堀が本作に施したオリジナルな読みが認められるのである。
 
 生から死への劇転換は、新型コロナウイルス禍を生きる我々に重ねても見てしまう。本作は人や物が「移動」するということ自体からなにがしかが生じ、それが観る者を突き動かす種類のものだ。現在の我々は「移動」を制限されると共に、人との接触も忌避されて距離を取らなければならない日々を余儀なくされている。特に新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「新型インフルエンザ等緊急事態」が発令された春は、外出の自粛が要請にもかかわらず、SNSなどを通した衆人環視が過熱して半ば強制的に人々を拘束した。私は演劇公演が再開した7月から、劇場へ通う機会を再び持ち始めた。そのことによって、自宅のPCでオンライン配信を観ることとライブ公演の違いを再確認したことはもちろんだが、それ以上に「移動」することの自由がいかに人間の喜びであり心身を解放するかを痛感した。そういう意味では、暴力を伴った不気味な雰囲気と距離を取っての死者の葬列は、渇望する自由な移動がまだまだ拘束されている現況の風景なのだ。


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二人芝居に改変して明瞭になった、社会の中における男の在り様
藤原央登
(劇評家)  

オフィコットーネトライアル公演『ブカブカジョーシブカジョーシ』
2020年10月7日(水)&8日(木) 会場 小劇場B1

 オフィスコットーネは長年、犬の事ム所を経てくじら企画を率いていた、大阪の劇作家・故大竹野正典作品の上演に取り組んでいる。今回は新たに、くじら企画で1992年に上演された『ブカブカジョーシブカジョーシ』を取り上げた。サラリーマンのアイデンティティクライシスと男のメランコリックな哀愁を描く本作は、大竹野作品の骨格と世界感を示す成果を挙げた。その大きな理由は、演出と演技の両面で構造的に作品を読み込んだことにある。

  とある商社の営業二課の課長・モモチ(高田恵篤)は、下から突き上げられ上からは無理難題を押し付けられる、典型的な中間管理職のサラリーマン。彼は英数字が羅列された品番の商品を各社へ納入する業務に携わっているが、それが具体的に何かを把握していない(実はトイレ用タワシであることが後に判明する)。『モダンタイムス』のごとく会社の歯車になっているモモチを突き上げるのは、時に卑屈になりながらも我を通す、神経質なアメミヤ(野坂弘)である。二人の関係性が芳しくない様は、劇冒頭のロッカーを移動させるか否かを巡るやりとりで明らかだ。オフィスの入り口に据えたロッカーで、ある日モモチは頭をぶつけてケガをする。それを受けて彼は、ロッカーの移動を部下たちに提案する。しかしアメミヤは、本来の仕事と何の関係があるのかと反対する。職場環境の改善も重要な仕事だと諭すモモチであるが、自分はロッカーで頭をぶつけたことはないとアメミヤは応える。誰かが今後ぶつける恐れがあるから移動させるべきだとモモチが返せば、「それは命令なんですね」とアメミヤは反発。モモチは部下の機嫌を損ねまいと優しくなだめるように対応するが、その言葉の一つ一つがアメミヤをより頑なにしてしまう。議論をしている間にロッカーを移動させればすぐに済む。この時間が無駄だから昼休憩時に自分でやっておくとモモチが折れると、今度はアメミヤに「ウヤムヤにするのは止してくれませんか」と言われる始末。そんなやり取りの果てに、モモチはアメミヤに謝罪する展開に追いやられてしまうのだ。他にも、アメミヤが23円の帳簿が合わないという理由で長時間の残業をしようとした際には、モモチが23円と残業代が見合わないといさめたことで、彼の機嫌を損ねてしまう。タイムカードを打刻したアメミヤに、「もう私の自由時間です 放っておいてくれませんか」とモモチは言われてしまう。


©青木司
 案の定、モモチはシャチョーに呼び出され、センムとブチョーも同席する中で部下の管理能力を疑われてしまう。加えてモモチは日々、くだらないダジャレをひたすら繰り出すブチョーの相手をさせられている。さらにはシャチョーたちに突然呼び出されては、賭けボートや社内で催されるソロバンコンペティションに参加させられる。モモチはコンペの参加料を支払わされるが、手持ちが足りない。シャチョーから耳をそろえて持ってくるよう命令された彼は、あちこち巡った末に会社の屋上に辿り着き、ひび割れたコンクリートをひっくり返して小銭をかき集める。しかし結局は、アメミヤがこだわっていた23円が見つからない。この辺は大きな皮肉である。そこで途方に暮れたモモチは屋上から地上を見下ろし、昼時のオフィスからけし粒のように出てくる人間をぼんやりと眺める。そこで彼は、もし飛び降りたとしても、下で起こる惨状が引き起こす悲鳴や救急車のサイレンはここまでは届かないだろう。地面に小さな穴が空くだけで、誰も自分のために泣いてはくれないとつぶやく。この時にモモチが抱く浮遊感の伴った現実感のなさが、本作の基調をなす。一方でモモチは、高熱を出したからゆっくりと休みたいとの理由で、妻から息子を会社に連れて行ってほしいと要請されもする。会社にまで電話をかけてくる妻に、戦場で戦っているんだぞと応答するが、結局は妻の言葉に従わざるを得ない。会社では万年中間管理職に甘んじ、家では父親としての威厳もない。社会で生きる者ならば多かれ少なかれ出くわす理不尽な出来事。その一つひとつは些末であるがゆえに、かえってそれが積もり積もれば人間性を攪拌するほどのダメージを与える。そのことが、ロッカーにぶつけた傷で頭が痛むことに象徴されている。実はローカーによる負傷は事故ではなく、アメミヤが仕組んだことであることを、モモチは知っている。それなのになぜ知らないフリをするのかアメミヤに問い詰められるモモチの姿には、心優しい中年男性の悲壮感が漂う。アメミヤとの関係性を軸に、何をやってもモモチは不利な状況に追い詰められてゆく。そのことを不条理な会話と、虚構と現実の狭間に落ち込むモモチの姿を通して描くのである。コロナ禍を受けた「新しい日常」が提唱されて、働き方改革をより加速する必要性に迫られた現代においても、社会における個人の在りようを戯画的に描く本作が孕む意義は深い。<>  
 本作を観ながら、私は大竹野の最後の作品『山の声』を想起させられた。大正期の登山家・加藤文太郎と吉田富久の遭難死を描いた『山の声』は、登山への熱いこだわりと家族に注ぐ優しい想いを通じて、男のロマンと極限状況下における生と死を骨太な筆致で捉えた。単独登山で数多くの山を制覇した加藤の武骨さは、モモチとは正反対である。人間の内面に沈潜して抉る『山の声』に対し、『ブカブカジョーシブカジョーシ』は不条理喜劇だからだ。しかしアプローチは異なるものの、大竹野作品に一貫して流れる男の生き様を描くモチーフが共通している。そのような効果を生んだのは、本作を『山の声』に合わせるように二人芝居に改変したためである。ブチョー・センム・シャチョー・モモチの妻と子供をアメミヤが、アメミヤの母をモモチが兼ねる。彼らを演じるにあたっては、会社資料と思わしき大きな紙に顔を描き、ゴムで耳ひもを付けた仮面を付けてなされる。それらは赤塚不二夫のキャラクター・ダヨーンのおじさんのように、顔のパーツを誇張したものである。声色と仕草もそれに合わせて戯画化されることで、かえって素顔で演じるモモチとアメミヤが際立つ。2人の男にフォーカスを当てたことで、この作品の骨格が明瞭に伝わることになった。
 

©青木司
 それはアメミヤがモモチを、自分を映す鏡像と見なしていたということである。そのことはシャチョーから管理能力を問われたモモチの対応からもうかがえる。自分は1年間休業していたが、アメミヤも名古屋支店への転勤時に病気療養をした。そのこともあって仕事を頑張ろうとしている部下を見守っていきたい。仕事上のぶつかりはアメミヤの奮闘の表れであり、むしろ歓迎すべきことだとモモチは述べる。気遣いと優しさを持ち合わせたモモチと生真面目さが故に頑固なアメミヤは、会社の駒であることをまっとうしようと努める点で似ている。モモチに自分の将来の姿を認めるからこそ、アメミヤは生理的とも言えるほどに嫌い噛み付くのかもしれない。その同族嫌悪の帰結が、アメミヤによるモモチの殺害へと至る。アメミヤは劇中、人の顔が判別できず誰もが一緒に見えると述べる。そんな現実感を失った奇妙な世界は、仮面=記号と化した戯画的な人物たちで視覚化されている。モモチは汗を流し苦悶しながら、その世界でなんとか折り合いを付けようとする。その必死さが、人間性の回復を希求する心情を体現する。しかしアメミヤは、そんなモモチの奮闘をひっくるめてみっともないと言わんばかりに、高校時代以来、久しぶりに手にした金属バットでモモチを撲殺する。それが会社=社会に囚われていた自分を解放することになったのか、アメミヤは何度も断っていた友達からの山登りに応じる電話をかける。その際にアメミヤは、高い山の頂上で「透明で冷たくて薄い空気を思いっ切り吸い込みたい」、そして登る太陽を見ながらコーヒーを飲みたい。そうしたら「自分が肉で出来てるなんて思えなくな」って、「薄い空気に自分がとけてゆく」「最高の気分」が味わえるだろうと友達に伝える。鏡像としての自己を葬ったことによる人間性の回復がここからは窺える。しかしモモチを殺害することは、同時に未来の自分を抹消することと同義である。だからこそ「自分がとけてゆく」感覚には、死のイメージを伴う悲哀が滲み出る。モモチが会社の屋上からケシ粒になった人間を見つめる浮遊感と等しく響き合う虚無の感覚もここにあるのだ。
 
 このように二人芝居にしたことで、モモチとアメミヤの対称性が本作の骨格であることが明瞭になった。そのことは同時に、俳優の魅力でもある。振り回される中間管理職のモモチを演じた高田恵篤は、会社内外の人や状況に追い込まれる優しい善人を、スーツにまで汗を滲ませて体現した。アメミヤを演じた野坂弘は基本的には淡々としながらも、時にモモチに不敵な笑顔を浮かべたかと思うと突拍子もなく優しく接するなど、心情が読み取り辛い神経質な人物を造形。高身長なこともあって、モモチに不気味に立ちはだかる大きな壁となっていた。役を兼務しなければならないので俳優は負担だったろうが、野坂が演じたシャチョーとブチョーは見事であった。野太い声で自分のギャグを強く押し出してモモチを当惑させるブチョーと、平安貴族のような喋り方で冷酷なシャチョーは、漫画的であるがゆえに下手をするとハズしてしまう。その点、足先をくの字にして自分のギャグに酔うブチョー、伸びあがりながらフェードアウトする語尾に上から目線と人をバカにした感情を込めたシャチョーは、まさに身体全体で作ったキャラクターであり、しっかりと観客を笑わせる。またモモチが屋上から見下ろすシーンでは、彼がそこから飛び降りてしまうのではないか思うほどに、不安な心情が高田の身体から感得された。そう感じた時、小さな劇場の舞台に立つ高田と私の間には、何百メートルという高低差を確かに感じたのである。
 

©青木司
 俳優をそのような舞台に立たせるべく、二人芝居として演出した佃典彦の功績も大である。息子のイチローを連れて出勤した際、キンテツ電車がハンシン電車の線路を走って彼をさらってしまう。そして体調不良のために早退したモモチがエレベーターに乗ると、どこまでも降下してオフィスなのか家なのかが判然としない空間に迷い込む。そこでは、アメミヤからの電話が履いた靴にかかってきたり、何度チャンネルを変えても野球中継ばかりが流れるテレビのある、時空が歪んだ世界だ。オフィスをしつらえた小さな劇空間で、照明の切り替えやデスクやごみ箱を昇り降りしての演技で、不思議な世界を出来させた。アメミヤが金属バットを手にするシーンでは、天井から何本もそれを落として驚かされた。何をしでかすか分からないモモチの不安定で危なっかしい狂気を、聴覚を刺激して倍増させた。
 
 オフィスコットーネは『山の声』を2012年12月に上演して以来、大竹野が率いたくじら企画ともコラボレーションしながら繰り返し上演してきた。社会の中における男の在り様という『山の声』と通じる本作も、今後も上演し続けてほしい。


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